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テンポラリー通信

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2011年 01月 08日

吹雪明けてー同時代の森(11)

吹雪の一日が明けて、朝ギヤラリーに着くと雪に入口が埋もれていた。
昨夜帰りがけに除雪したのだが、その後さらに積ったとみえる。
-10度の寒波と風・雪でどこも今朝は真っ白である。
今日は少し気温も上がって、雪が重たい。
雪掻きに軽く汗をかいて、珈琲を淹れ飲む。
熱い苦味が心地よく、五臓六腑に沁み渡る。
昨日は一日雪の風の壁の中。
訪問者はひとりだけだった。
Mさんからお年玉かな、小さな洒落たリュックが届く。
肩車のようなリュックで、登山用のリュックに慣れた私には背中の感覚が
微妙に異なる。
シテイーボーイも、リュックに関してはマウンテインボーイである。
街の中で背負うお洒落なリュツクなのだろう。
その内慣れてさまになるように心掛けたいもの。
昨日来たたったひとりの訪問者は漫画家志望で、見せてくれた習作は
目が強い絵だった。
本人も同じような目をしていて、野上さんの彫刻犬とは対照的である。
野上さんの「i・NU」には、目がない。
目は玉のようになって、空中に浮かんでいる。
訪問者の絵に描かれた顔は、男も女も目が切れて凄んでいる。
目に肩の力が入りすぎている。
五感のひとつに偏って内向きである。
解き放ったら、と野上さんの作品と対照しながら話した。
五感の部分的増幅は、都市の現代病的病である。
勝ち組みが超高層ビルの上階に住んでそれを勝ちと思うなら、
身体で登ることを消去した事で成立する勝利である。
高速昇降機械による消去である。
この時足という五体のひとつは、機械の増幅インフラによって消えるのだ。
この点が常態化する事が現代病で、この訪問者の目の描き方には、
その部分増幅が、目に集中して顕われている。
だから見た人は、特に女性たちはみな目が怖いと言うという。
訪問者は野上さんの作品を見て何かを感じたのか、ケイタイで盛んに
撮影をしていた。
帰る時はもう、来た時の目の凄みは消えて笑顔が浮かんでいた。

野上裕之の「鳥を放つ」というタイトルは、言い得て妙である。
この<鳥>は自らの内から解き<放つ>のである。
一本の木が綿毛を放ち、種子を飛ばすように<鳥を放つ>のだ。
身体は地を踏みしめ、前方を見上げ内から放つ。
反対に内に凝縮し、目に力の入りすぎた怖い目の彼は最後に、
さばさばした表情でまた来ます、と声を上げ帰って行った。
雪の日のたったひとりの訪問者。
怖い目の、しかし根は純粋な人だった。

*野上裕之展「鳥を放つ」-1月16日(日)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休。
*高臣大介ガラス展「雪調(ゆきしらべ)」-2月1日(火)-6日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax-11-737-5503

by kakiten | 2011-01-08 12:21 | Comments(0)


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