地下鉄に乗る事が増える。
どこか一点を見詰め、他に無関心であること。
それに対し、目に刺さるのは派手な宣伝デザイン。
地下鉄も含め街は、その他多勢で顔ナシか、派手で目立つ刺激か、
どちらかである。
時にひとりで大声を出している変な人もいるが、
こういう人は強い無視か、軽蔑の対象でしかない。
外界を遮断してスムースに流れる事。他人には障らないこと。
そんな原則が貫かれている。
世界が新鮮な発見に溢れている外界とは違う、構造的外界である。
よく天下りの集る会社になんとか機構という名前を聞くが、
そういう機構構造に属して社会生活がある事も紛れもない現実である。
地下鉄・地下道運搬機構。
購買促進・欲望開花機構。
そんな多くの機構の中で社会生活がある。
ここでは公共というものが、その他多勢を第一とする原則が主流で、
その他多勢を抜け出す事は、機構の先端に入る事である。
その他多勢を量的に眼下に従える事。
そうした誇示・勧誘に満ちたデザインが壁を覆い、つり革の上を彩っている。
その他多勢の沈黙を守り、流れに沿って通路を進み到着口で解放される。
地下通路を出ると西の手稲連峰が白く煙っている。
風が冷たく、凍てついた路面に足を滑らす。
無視を装い沈黙していた目、鼻、皮膚が活発な反応を取り戻す。
佐佐木方斎さんが個展以来久し振りに来る。
芸術の森美術館のなかがわ・つかさ展、2時間ほどゆっくりと
見て来たと言う。
さらに円山に新しく出来た某ギヤラリーのオープニングにも出た
という。
先月の個展以来さらに内面的に充実してくる気配がある。
ちょうど来た教育大4年の太田さん、秋元さんとなかがわ・つかさ展に
ついても話し込んでいた。
人に会う意欲が出て、佐佐木方斎の来年は楽しみに思えた。
ベッドから出ることのなかった時は、作品を創る作家本来の道に立つ事で
もう遠くなりつつある。
外界と内界の往還こそが、人を活き活きとさせる。
その往還回路を具現化する本質的なものが、作品である。
回路の固定化が機構社会にはあり、そこを爆発突破する起爆装置である事が、
作品の保つ優れた公共回路である。
<公共>の在り様が、機構社会と作品世界とでは本質的に違うのだ。
機構社会のデザイン的効用に添ったものが、アート菌に塗れた公共芸術
である。本質的な<公共>とは個から発して、その他多勢の沈黙を
消し去る事だ。
岡部亮展もあと3日。
持って帰った作品は最後に、いかなる新たな回路を保つのだろうか。
*岡部亮展withシミー書房「詩の本と彫刻」12月12日(日)午後6時まで。
*野上裕之彫刻展ー12月21日(火)-1月16日(日)
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503