テンポラリー通信

kakiten.exblog.jp
ブログトップ
2010年 12月 07日

霙(みぞれ)降るー夢の系譜(11)

13年前強烈な自刻像が印象的だった岡部亮の初個展。
その後作品は1999年の沖縄旅行以降、自らを取り巻く環境そのものを凝視し、
それらは歯のデッサン・歯の彫刻として、身体環境そのものを凝視する彫刻へ
と変化してきた。
言葉を変えれば、産まれた北広島市という場を、広島県からの移住者が名付け
た借りの大地から、野幌台地という固有の自然環境として見詰め直し、さらには
自らの固有の身体性の象徴でもある歯にまで凝縮して見詰める姿勢で
あったと思える。
この自らの与件を見詰め直しす行為は、豆本第一巻の「丘陵日」に画かれた
故郷の山河の俯瞰する絵と歯の彫刻とデッサンとして展開していた。
それは身体も含めた与件としての環境を、自らのautonomy(自治する力)に
奪還しようとする極めてラデイカルな彫刻行為だった。
今回7年ぶりに発表された「豆の莢(さや)」と「種子」の新作は、その与件の
世界から、より内側から溢れるものの造型へと転位した事実を示唆している
気が私にはするのだ。
特に最新作の「種子4」の造型には、その小さな一歩を見る気がする。
僅か30cmほどのこの彫刻は、固い槐(えんじゅ)の樹を素材にしていて、
その削ぎ落とされた彫刻の部分は、まるでペーパーナイフのように細く鋭利
でありながら繊細で柔らかだ。
もうひとつの新作「豆の莢」には、種子がまだ莢の中に内包されているが、
「種子4」では、莢から飛び出した種子の形態であり、その形は外界へと放た
れた独立した存在となっている。
この「種子4」は、尾がプロペラのように回りながら外部世界に触れる形なのだ。
自刻像に始まり、自らを取り巻く自然・身体環境そのものを凝視し彫刻してきた
この作家が、環境との交感の彫刻から、内から溢れるものの彫刻化へと深化
した事実をこの作品は示していると私には見える。
この作品の示唆する小さな転位は、決して小さなものではない。
彫刻家は、外界と内界との相渉る感性を鑿で刻み、形象化する。
自分自身を内と外から見詰め、見詰め直された位相から新たな自己を形象する。
この内と外の往還行為は、あたかも真に自治する力(autonomy)を獲得する為
のようにある。
岡部亮のこの13年とはそうした自分を取り巻く世界と自己との見えない格闘の
13年間だったと思える。
風景の根を見詰め、身体の根を見詰め、それらを内なる外なる歯根のように
彫刻した岡部は、そこから飛び立つ種子の形態を今回彫刻した事で、新たな与件
を拓いていかなければならない運命を背負ったと思う。
それは飛び出した種子がやがて未知の大地に根を張るように、新たな世界と
関わる運命である。
そこには新たに認識された故郷の風景の縁取りは、次のように広がっていた。

 ここが野幌台地であること
 小学校がその丘の一つに立っていること
 スキー場が木を抜いた丘の斜面だということ
 進学路が谷だということ
 そこにきれいな川があること
 線路が丘の中腹を貫いていること
 そしてグランドが丘の頂上だということ
 1999年夏
 二十年を経て 
 僕は初めてそれらを知った

                 (紙魚豆コレクシヨン「丘陵日」から)

この認識された故郷は、もうかっての故郷ではない.
そして既知の故郷にも、もう戻る事は出来ない。
それが純粋近代の種子の現在という運命である。
可視の現実と不可視の現実の二重否定を生き抜かねばならぬ。
豆の莢と種子を両方認識した孤独な営為がもう始っているのだ。

*岡部亮展withシミー書房「詩の本と彫刻」-12月12日(日)まで。
 am11時ーpm7時。
*野上裕之彫刻展ー12月21日(火)-1月16日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2010-12-07 15:25 | Comments(0)


<< 師走の風景ー夢の系譜(12)      木枯らしの森ー夢の系譜(10) >>