横浜のKさんから亀井文夫監督のDVDが送られてくる。
1946年制作の「日本の悲劇」と1956年制作「生きていてよかった」である。
前者は当時の首相吉田茂の逆鱗に触れたという生々しい反戦ドキュメント。
後者は被爆後10年を経たヒロシマとナガサキの被爆者の今を撮影している。
ともにモノクロームのドキュメント映像で、このふたつの映像と現在を比較すると、
そこには今を漂白するように激しく貼り付くものがある。
私は初めて見た時の一原有徳の作品を思い出していた。
白と黒の不思議な廃墟の風景。高度成長期の都市風景の中で、最初に見た
一原作品は、見えない都市の廃墟をイメージさせるものだった。
しかし今回初めて見る亀井文夫の映像は、ドキュメンタリーであり、当時の
現実の風景であるのだ。
被爆後間もないヒロシマ、ナガサキの茫漠たる荒野の都市。
10年を経て再開発されながらも、そこを歩く被爆者の心に映る荒野。
モノクロームであるがゆえになお、そこに10年の大きな相違は感じられ
ないように見えるのだ。
最近ではバブル後の喪われた10年という言葉がある。
しかしこの亀井文夫の記録した1946年から1956年の10年とは、
もっと時代の深部に在る喪われた10年と思える。
バブル後の10年とは、物質至上主義のマネーに踊った後の喪失である。
亀井文夫の記録した戦後の10年とは、精神の喪失の10年である。
同じDVDに収録されていた戦中の昂揚した少年・少女の精勤する映像。
1941年制作「空の少年」、1945年制作「わたし達はこんなに働いている」
は共に亀井文夫の「日本の悲劇」の5年以内前のものである。
この2作品には、一心不乱に目的をもって仕事に励む人たちがいる。
その目的が飛行機乗りになる事だったり、海軍衣糧の作業だったりするが、
描かれている姿は、ある目的の為に献身する精神的営為の姿なのだ。
この後の亀井文夫の記録した喪われた10年とは、この精神の喪失の10
年の姿でもある。
そして、その精神的肉体的喪失・廃墟の渦中から、その喪失を意識的に形にし、
人前に晒す決意から、<生きる>事の基底をささやかな行為として立ち上げる
母子の姿を、映像は希望のように記録している。
本当に深く傷ついた者のみが保つ喪失から生きる行為への転換。
戦後の喪失の10年。
この精神的喪失の傷痕は、決してインフラ整備のみで癒されないものである。
その原点の世界を亀井文夫の映像は保っている。
バブル時代の前夜、一原有徳の作品が鮮やかに表出したものとは、正に
この癒されざる内部の荒野、その喪失した10年の原風景だったような気
が今するのだ。
*一原有徳追悼展ー11月17日(水)-26日(金)am11時ーpm7時。
月曜定休:協力かりん舎・中川潤。
:及川恒平ライブ「まだあたたかい悲しみ」-11月23日(祝)午後4時~
予約2500円・当日3000円。
*岡部亮展withシミー書房「詩の本と彫刻」-11月30日(火)-12月12日(日)
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503