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2010年 11月 12日

木枯らし吹くーNovember step(14)

昨日の道新夕刊に吉崎元章氏が「なかがわ・つかさが見た昭和30年代
の道内美術」について書いていた。
毎週木曜日4回の連載とある。
23歳にして初めて木田金次郎の画業に触れ、翌年木田の初個展を見る為
来道しそのまま札幌に定住する事となったなかがわ・つかさの北海道との
最初の出会いが今回書かれている。
ここから34歳までの約10年簡が、この風雲児の軌跡として次回以降
綴られていく。
この23歳の青年の熱い軌跡の切っ掛けが、岩内に生きた木田金次郎の
生き方・画業であった事に、私は深い夢の存在を感じるのだ。

 興奮し、それから憧憬した。
 北海道という自然、木田のような画人が 苦もなく育った風土に。
 同じ空の下で、こんなにも人間が生きて見える土地がどこにあった
 だろうか。」(1962年3月「月刊さっぽろ」の回想文から)

この23歳の若い北への浪漫が、その後の彼の美術批評の原点となる。
岩内で若い漁師として生き、有島武郎の励ましを支えに絵を描き続けた
木田金次郎の存在を抜きにこの若い異邦人の北への転出は在り得なか
った。
なかがわ・つかさの当時の現代美術界への果敢な批評は、その原点に
厳しい漁師の生活を続けつつ画業を貫いた木田の生き方、大自然との
関係で生まれた絵画の在りようが、深くその夢のバックボーンにあった
のだ。
なかがわ・つかさが自らの夢に身を投じた10年間は、まさに時代が
大きく変わる前夜の10年である。
札幌の人口は倍増を続け都市化が進み、彼の憧憬した北が喪失し
続けた時代でもある。
木田を育てた風土は、もうこの大都会への道を歩き出した街から
一番最初に消えてゆく時代である。
木田金次郎を通して憧憬した風土が破壊されてゆく10年を、美術界
の批評を通してなかがわ・つかさは多分血の滲む思いで闘ったに
違いない。
この23歳の青年の夢見た北海道とは何か。
その問いは、今さらなる重い垂鉛を下ろして私達の現在を撃つのである。

*佐佐木方斎展「逆絵画」-11月14日(日)まで。
 am11時ーpm7時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2010-11-12 12:52 | Comments(0)


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