晴れのち曇り。そして今日も風は冷たい。
18日札幌を離れる谷口さんが、自宅にある自転車を貸してくれるという。
ドイツに帰れば、物置において在るだけだから、使ってもいいよという。
人の物を借りるのは多少窮屈だが、ありがたくしばらくお借りする事にした。
あと2ヵ月もすれば雪である。
来年雪解けまでに新しい自転車をゆっくり探そう、そう思った。
サドルの位置を変えるパイプが曲がっていたので、修理に出す。
乗り易い位置に直ってから、乗るのが楽しみである。
次回展示予定の佐佐木方斎さんがフライヤーを持って来る。
展示作品は、F百号が4点と他に小品という。
すべて新作で、新作は10年ぶりかも知れない。
2006年に現在地に移転してから、毎年彼の個展を継続してきたが、
これまでは旧作と未発表の作品が主である。
今回は純粋な新作で、彼の復調ぶりが窺える。
1980年代を突っ走ってきた俊英の復活は嬉しい限りである。
前回谷口顕一郎展にもオープニングに最後までいてくれ、
そこで会った山本雄基さんの個展にもその後出かけたと聞く。
自宅に寝たきりのような4年前とは大きな違いがある。
作家はやはり作品を創る事で、気力を回復し元気になる。
ここまできたら、もう最後まで美術家として生き、美術家で死ねと、
発破をかけたのが効いたのかもしれない。
会場にいた山田航さん、酒井博史さん、ちょうど来た森本めぐみさん
の後輩のふたり教育大2年生と、明るく会話する佐佐木さんがいて、
これらの人たちが産まれた時代に活躍した佐佐木芳斉が、少しだけ
その輝きを取り戻しつつあるかに思えた。
作品を創る事で、その現在感覚が今を活き活きとさせる。
contemporaryの<con>とは、その意味である。
<ともに>の今なのだ。
産まれた年代で基底体制還元主義のような、与件に還元して
生きてはいけない。
誰もが、産まれる年を選んで産まれた訳でない。
それは与えられた与件というものである。
そこを前提としてから意思的生き方が始る。
そしてその意思的生き方の過程で人は人に出会うのだ。
佐佐木方斎の明るい表情を見ていて、そんな事を思っていた。
彼の展示には、この若い人たちがきっと見に来て新たな佐佐木世界
を共有し、何かを語る事だろう。
ムラギシが急死した夏は、最初の佐佐木方斎展だったが、この時
彼の作品・資料を貪るように見ていたのは、正しくこうした世代の若者
たちだったのだ。
作品に世代差はない。
あるのは、同時代の熱である。
その事を作品が証明するのである。
*昆テンポラリー展「札幌の昆虫を素材にして」-10月12日(火)-24日(日)
am11時ーpm7時。月曜定休。
:谷口顕一郎・森本めぐみ(美術)・河田雅文(会場構成・映像)・山田航(短歌)
・文月悠光(現代詩)。
:素材提供・木野田君公「札幌の昆虫」(北海道大学出版会)
:企画・熊谷直樹。
:企画協力・札幌市博物館活動センター・テンポラリースペース。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503