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2010年 09月 10日

ローマ物語ーハルニレの羽(25)

塩野七生の「ローマ人の物語」を借りて読んでいる。
大部の著書である。文庫本で37巻。まだやっと2巻目。
初期ローマのリパブリック観が、面白い。
通常は共和国と訳されているが、この訳に著者は異を説く。
<せめて「公益」とか「国益」と訳すべきではなかったか・・・何故なら
「レス・プブリカ」とは、公共の利益を重視することである。>
共に和するではなく、どうやってそれを実現するかという、アクテイブな
行為だと塩野七生はいう。
そしてその行為は大別すれば二つに分かれる。
ひとつは民意優先・主権在民の考え方。
もうひとつは、公益優先である。
民意の反映は必ずしも公益の向上をもたらすとは限らない。
公益こそ優先という考え方。
この分離には、人間に対する性善説と性悪説がある。
民意派は性善説、公益派は性悪説である。
現在のアメリカの二大政党、民主党と共和党もこの系譜ではないかという。
国家の存亡史がこの本の基本にあるから、現実はふたつに大別されるほど
単純ではない。
もっと生臭く、独裁者も出てきて時にその優れた指導力によって治まる時も
ある。
塩野七生がいう「レス・プブリカ」は、英語のリ・パブリックの語源のラテン語
だが、「公益」「国益」の意訳より、より「公共」とか「共同体」を意味した
ラテン語の意味に私は惹かれる。
ローマ帝国の国家の存亡史においては、当然国家のありようから見る視点
が優先するので、<公>が国家的軸に置かれる。
しかしもうひとつ、類的存在としてこの<共同体・公共>を考える時
別の軸の<公>という観念もありうるような気がする。
例えば夏目漱石の唱えた「則天去私」にみる、<天>のような観念である。
この<天>とは、国家を超えた<公>存在と思える。

水や空気のように類的共同体物質が、人間の精神性の内にも存在し得るか。
そこに<天>の位相もあるような気がする。
リパブリックのもつ、共同体・公共の意味は、文化の縦軸に垂直に関わる
極めてラデイカルな同時代の問題と思う。

*西田卓司展「ワーキングフロー」-9月12日(日)まで。
 am11時ーpm7時。
*谷口顕一郎展ー9月21日(火)-10月3日(火)
*昆テンポラリー展「札幌の昆虫を素材に」-10月12日(火)-24日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2010-09-10 13:40 | Comments(0)


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