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2010年 09月 07日

オホーツクサーモンーハルニレの羽(22)

昨年夏網走の佐々木恒雄さんが初収獲のオホーツクサーモンを送って
くれたが、今年はNくんとアキタヒデキさんに送られてきたらしい。
ふたりともどうにか身を切り、調理したらしい。
先日アキタさんが来て、少し落ち込みながら話してくれた。
嬉しいのだけれど、鮭一匹まるごと調理した事はないから、
気を取り直して包丁片手に三枚おろしに挑戦したという。
私も昨年一匹まんまの魚体を見た時、一瞬固まったのを思い出す。
友人のM夫人が出刃包丁片手に駆けつけてくれ、処理したのだ。
アキタさんは、俺何にも出来ない、ヴェトナムへ旅して以来ずっと考えて
いたんだ、ショックだよと、話した。
切り身・調理済みのパック化した日常。
魚一匹という生(なま)身の現実より、パックされた切り身の日常。
これって、魚だけではない。
風景も住居も情報もパック化されたバーチアルな日常に囲まれて生きている。
佐々木恒雄さんが網走に帰る前、Nくんとアキタさん、佐々木さんと石狩河口
を歩いた事がある。
この時佐々木さんとアキタさんは初めて会ったのだが、あの小さな旅は
ふたりの友情をその後も育てていたのだろう。
網走に帰り漁業の仕事を継いだ佐々木さんの1年に一回の贈り物である。
都会の生活に疑問を抱いているアキタさんにとって、この佐々木さんの生活
そのもののような、一匹のオホーツクサーモンの存在は、正に自らの生活の
切り口そのものを問うように存在したに違いない。
札幌・緑の運河エルムゾーンを守る会の署名簿に署名をお願いして、
アキタさんとしばらく話し込む。
文化財の清華亭、北大の植物園、伊藤組土建の会長宅、そして北大キャンパス
これらも風景としては、切り身のように存在している。
しかしこれらは、本当は一帯のゾーンとして存在しているものだ。
サクシコトニ川の流域として有機的に存在し、ハルニレ(エルム)の繁る
森の原風景を残すものなのだ。
この原風景を、私たちはやはり切り身の鮭のように、今見ている。
風景にも眼があり、尾があり、胴体がある。
札幌で我々が出来得ることは、この風景の再生、漂白された白米のような日常
から、玄米のようなモミ、殻付きの本体を見詰め直す事。
切り身から全体を見詰め直す作業。
それがどこかで、オホーツク海に生きる佐々木さんとは逆方向で繋がるのでは
ないかと、話した。
それぞれの生活の現場に、それぞれのリアルがある。
オホーツク海と石狩内陸の街は当然同じ現実ではない。
しかしその表皮の現実の奥で、私たちは同じリアルを生きている。
オホーツクの海で、漁師の人たちは年一回恒例として源流の山に行き
木を植えていると言う。
海を根っ子の構造から手を入れて耕しているのだ。
海の内部風景を陸・川・山から切り離して見てはいないからである。
オホ-ツク海を切り身にしない努力を怠ってはいないという事である。

オホーツクサーモンの憂鬱を少し取り払ったように、アキタさんの顔も
柔らかくなって、我々の魚談義は終った。

*西田卓司展「ワーキングフロー」-9月12日(日)まで。
 am11時ーpm7時。
*谷口顕一郎展ー9月21(火)-10月3日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2010-09-07 13:08 | Comments(0)


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