自転車がパンクする。
後輪が重いと思ったら、ズリズリ、ペチャと音がした。
強引にペダルを漕ぎ、なんとか円山近くまで行く。
後は降りて自転車を押して帰る。
翌朝自転車屋さんに行き、修理を頼む。
タイヤとチューブも交換。
クラインのモスグリーンの愛車。
修理完了時お金を払う時に”大事に使ってくれてありがとう”、
と自転車屋さんのおじさん。
この一言が自転車を通して人の心を結ぶ。
韋駄天の荒い運転を責めるのでもない。
自転車を愛する気持ちが人を暖かく包む。
gla_glaの高臣大介さんが、定番の「燃える男はロック!」と命名した
グラスを今大量に作っているとブログに書いていた。
同じ物を作っているのだが、飽きないという。
彼の初期のヒット商品である。
掌に溢れるような、透明で重いロックグラス。
これと同じ頃できたショットグラスは、飛んでる男はショット!。
命名もいいのだが、このどっしりとした掌に入るショットグラスもいい。
このふたつは、彼の定番中の定番。
私も法事のお返しにセットにして使わせて頂いた。
定番とは、歩き深めるいい道のようなものである。
何度歩いても新たな発見がある。
それは音楽にも、今展示中の大野一雄の石狩河口公演も同じである。
歩き染め、歩き深まる道に似ている。
自転車屋さんの親父さんの一言も、それに近いものがある。
”大事に使ってくれて、ありがとう”。
クラインの自転車を使っている気持ちに応えてくれたのだ。
物を通して人は、純粋に心を伝える。
この時物は、物神崇拝の対象ではない。
グラスも自転車も、心の純粋抽象になる。
純粋抽象とは、人と人の心に還って来るモノである。
人から発して、人に還る。
その道程に作品が、純粋濾過装置のようにある。
芸術至上主義者には、この往相・還相の過程が抜け落ちる。
フエテシズムとは、物質主義に堕したある種の至上主義なのだ。
還相が抜ける。
そこには本質的な意味で定番は育たない。
追悼・大野一雄展もあと二日。
<カムチャッカ・みちゆき・大野一雄>、
ここ発の追悼主題は、遠く深い波動となって人に届いているだろうか。
これは地産<地消>などと、お仲間的な地表に吸い取られるものでも、
大野一雄至上主義にあるものでもない。
*追悼・大野一雄展ー7月18日(日)まで。
am11時ーpm7時。
*唐牛幸史展「REPUBLIC」-7月20日(火)~会場設営。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503