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テンポラリー通信

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2010年 07月 06日

魂・球ー木霊(こだま)する(30)

火曜日休みをとって、瀬川葉子展「記憶に沈んだ庭」を見に行く。
ギヤラリーは月曜日定休日のところが多い。
こういう機会でないとなかなか見にゆく事が出来ない。
瀬川葉子さんは、20年ぶりの個展である。
かって詩人高橋秀明氏の同人誌の装丁をしている。
また円山北町時代には、私の所で4人展をしている。
結婚し育児と家事等で絵画活動から離れていたが、今回20年ぶりの
個展となる。
家事育児の間に少しづつ描き溜めていたのだろうか。
高橋氏と午後1時に待ち合わせ会場に向かう。
先客がいて、その間ゆっくりと作品を見て回る。
南壁一面に展開した作品群が良かった。
小さな作品をこつこつ描き続け、会場で一気に散じたという感じがする。
溜めと開放の勢いが、時間の土の内に胚胎していた事を思うのだ。
高橋氏とともに3人で話す。
もうこんな時間は本当に何年ぶりだろうか。
作品というものは、こうして見ていると魂の<タマ>でもあり、球の<タマ>
でもあるような気がする。
魂の<タマ>が現(うつつ)であるなら、球の<タマ>は実(實)である。
家事・仕事の合間にコピー用紙に描き連ねていたという瀬川さんの
画紙は、球のように實であり、こうして展示された展覧会の作品構成群は、
魂のように、現(うつつ)の<現実>である。
魂・球一体となって、私たちはもう20年近い御無沙汰を一気に跳び超え、
昨日逢った続きのように話しているのであった。

ひとつの鉄の優れた作品が、春楡(エルム)を呼び寄せたように、
ひとつの作品が様々な出会いをもたらす。
それは時間だったり、巨木だったり、死者だったり、個々の固有の記憶
だったりと、多様である。
魂球は自在なパスワークのように、ドラマを繋ぐ。
作家もまたその魂球を受け止めるひとりでもある。
その事実を抜きに、作家と作品の位置は本来測れないものだ。

*大野一雄追悼展ー7月9日(金)-18日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax-11-737-5503

by kakiten | 2010-07-06 17:12 | Comments(0)


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