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テンポラリー通信

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2010年 05月 21日

ポロという事ー青き繁みに(19)

ポロヌプリ(大山)を考えていて、ふと思い起す言葉があった。
大雪山である。大雪山という山はないという事だ。
峰々を連ねる一群の山系を総称して、大雪山と呼ぶ。
いわば山の群塊の総称である。
旭岳を始めとする、北海道最高峰の山並みが連なる地帯である。
この大雪山から(雪)を抜けば、大山ではないか。
大小というふたつの比較の相対性に、この<大>はなく、大きな群体を
示唆する<大>ではないかと思ったのだ。
ポロというアイヌ語を調べると、”親である、親の”という意味とある。
そこから”大きい”という意味が派生したようだ。
従って単純に大小で大きいではなく、複数の複合体なのである。
ポロには、<父祖の>という意味もあるようで、ポロヌプリは
父祖の山とも取れる。
大雪山は日本語名だが、この山並み全体を総称したとすれば、
ポロと同じような使い方とも思える。
本州にも大山という名前の山があったと思うが、
この地域はどうなのだろう。
私はこの大山を日本酒名で覚えているだけだが・・。
とにかく恵庭から始って、札幌を大きなゾーンとして見直す切っ掛けに
にはなった気がする。

植物園に連なる伊藤邸という個人のあるいは会社の所有地が、
ゾーンとして札幌湧泉池の極めて重要な地域である事を、都市化という
人間の傲慢を見直すためにも、自然の側から位置付ける事は必須の
作業である。
山田秀三さんの「札幌の偕楽園」というエッセイには、この湧泉池は
サクシコトニ川の水源部と記されている。
ここから偕楽園という今はない美しい池畔の公園があり、さらに清華亭
から北大構内を北流してゆく。
泉と川が大地の血管のようなものだとすれば、土は筋肉であり皮膚で
あるだろう。
その元を<ポロ=親>として敬意を保たなければ、人間は手や足や眼や
耳だけが部分増幅したお化けになってしまうだろう。
利便性を至上とする都市化の拡張肥大は、ポロという頭(かしら)の親を喪失
して、部分だけを相対化した悪無限的な比較大小競争の修羅に陥る事となる。
今まさに人間の内部の自然的存在<ポロ>が、手足の暴走に対峙し
問われてもいるのだ。
伊藤邸の水源部の記憶とは、札幌の水の親・ポロの記憶ではないのか。
近年北大構内を流れるサクシコトニ川は、涸れる危機を再生し今その流れを
取り戻している。
これは水源が甦ったのではなく、水源を藻岩山浄水場から導水したもの
である。復原は出来ないが、再生はでき得るのだ。
<Re=再生>への意思こそが、今我々ができ得る真に文化としての
唯一の仕事・志事である。
Sapporoのポロよ、そう思い許されよ!

*「交差線」4人展ー5月23日(日)まで・am11時ーpm7時。
*梅田マサノリ展「マニノ・アル・シツナイ」-5月25日(火)-30日(日)
*阿部守展ー6月1日(火)-13日(日)
*西牧浩一展ー6月17日(木)-20日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2010-05-21 12:22 | Comments(0)


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