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テンポラリー通信

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2010年 05月 20日

大山=恵庭岳ー青き繁みに(18)

恵庭市のMさんが来て、恵庭の語源の話になった。
アイヌ語でエ・エン・イワ(eーenーiwa 頭が・尖っている・山)
恵庭岳の山容形態からその名が付いたようだ。
明治39年にこの山に因んで恵庭村としたとある。
もともとこの地域はアイヌ語でイザリ(イチャニ)と呼ばれ、
その意味は鮭の産卵場であったとされる。
これは漁川(いざりがわ)として、今も川名に残っている。
そして恵庭岳は、<頭が・尖っている・山>と同時に
ポロ・ヌプリ(大山)とも言うと、さり気なく付け加えられていた。
この言葉にどこかで響くものがあった。
支笏湖から長い恵庭渓谷を下った時の風景の記憶である。
支笏湖という火山爆発跡の大きな凹みから恵庭渓谷一帯が
大きな山であったのではないかという想念である。
現在も活火山である恵庭岳。支笏湖を陥没させた大爆発。
その火山灰は札幌にも降り注ぎ、その大地を造る要因となっている。
私は川から札幌を見詰めてきたが、この時ふっと気付く事があったのだ。
水だけが大地を造るのではない、土がある。
その土は造山活動をもつ火の山だ。
大山とは恵庭一帯の造山、火山地帯を言うのではないかと、
想念が開いたのである。
さすれば、さっぽろという大地を形成する水と火の元が見えてくる。
水が地形を形成するように、火もまた地形の骨格を造る。
水は川であり、火は火山である。
この火山活動による大地の形成を抜きに、土はない。
とすれば、札幌の火の造山活動・土形成の大元にポロ・ヌプリ・恵庭がある。
現在の都市構造から見た恵庭市は、単に千歳空港への途中駅であり、
札幌の郊外住宅地のひとつに過ぎない。
これは政治経済を軸にした人口数を規準とした、恵庭の位置付けである。
土と水という大地の根元要素から、身体として見る時もっと大きな視座が
必要となる。
木を見て森を見ずではないが、手を見て足を見ずのように部分増幅の
文明病に我々は冒されているのではないのか。
これは一種の精神的メタボと言えるものである。
道央とかいって、社会的集中構造だけに寄りかかり過ぎて、トータルに
自分の生きている場を見失っている。
そんな想念が一気に、恵庭をポロ・ヌプリ(大山)と呼ぶ言葉から広がった
のだ。
すでに社会的与件としてある既成概念を、今一度は自らの感覚として
奪取する必要がある。
そのようにして再度生き直す必要がある。
私たちは実に多くの既成概念に略奪されたまま囚われて生きてはいないか。
<the Republic of Dreams>のReーpublicとは、その謂である。
<Re>の闘いを経ずして、真のPublicは訪れない。

*「交差線」4人展ー5月18日(火)-23日(日)am11時ーpm7時。
*梅田マサノリ展「マニノ・アル・シツナイ」-5月25日(火)ー30日(日)
*阿部守展ー6月1日(火)-13日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2010-05-20 14:34 | Comments(0)


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