遠くから春の便りが届く。行って帰ってきた人、行ってしまった人様々な所から春
が届く。そういう季節になった。病院に行く。一ヶ月振り。畑先生色々話し掛ける。
どうしてるの?今何もしてないの?前の店に貸店舗の張り紙あるよ。そうか、アネ
ハとか一級二級とか世間を賑わしているから当面はそのまま貸して様子みるのか
と思った。血圧は正常、先生ニッコリだった。このところ歩いているせいもあるような
気もする。病院の帰りその張り紙を見る。汚いへたくそな手書きで東窓のガラスに
それがあった。もう少し貸すなら貸すで愛情篭めれよと感じた。マンシヨンにするな
らするで世間気にしないでド~ンとやれ、建物が好きなら好きでもっと丁重に愛情
込めろ、汗が見えなかった。まあ惹かれ者の小唄ですがね。かえって血圧上がっ
た気がする。先日の對馬さんの濃い写真を思い出した。私有していない人が心で
所有している。そういえば、いつかTVで見た梅原龍三郎の絵の話もそういう話だっ
た。梅原龍三郎のヨーロッパ留学時代の習作の絵を懇願してやっと手に入れた人
がいて、彼は朝起きると必ずその絵を見ていた。しかし彼の死後その絵はどこかに
いって行方不明になるが、後年梅原龍三郎の回顧展が美術館で催されそこに展示
される。その絵を見る為車椅子の老いた未亡人が訪れ呟く<絵はいいねえ、なん
にも変らなくって・・・>彼女の夫が毎朝見ていた時間がその時蘇えっている。習作
なので以前は作家のサインがなかったがその時はサインが記されている。それは
後に現在の持ち主である某政治家が頼み記されたとTVのコメントが語っていた。
今の持ち主は絵の所有者であっても、絵の前で過ぎ去った時間を愛しみその絵
とともに在った夫を想い出し自分を確認していた老婦人の心の在り様の方がこの
絵の真の所有者のように思われた。サインはあってもなくても絵とともにあった
人生の掛け替えのない時間、それをこの絵は保っていたからだ。この時間は普
段個の内に閉じられ結晶してはいるが、同時に他者へと純粋に開かれた時間でも
ある。そこに作品が鏡のように介在して光っている。それがさらに多くの他者をも包
む。有名になった画家のサインをねだった某政治家の私有する絵にはその光りが
ない。話は飛んだかも知れないがそんなことを思い出していた。それはきっとベル
リンにいる谷口さんやブラジルに行く對馬さんが思い出させてくれたのだろう。