こんなに寒くて、厚着したのはあまり記憶にない。寒さに強い方だと思っていたから
風邪から喉ー気管支炎。お金から裁判ー立ち退き。逆境から歩行ー札幌の入り口。
あんまり揃ってもいないけれどそんな3つの進行があって街考古学にしばし
集中した。前から調べていた事と、歩いて発見した事が、つながり、新たな
意味をもってくる。イプツーイパル(その入り口)というアイヌ語が江別や夕張そして
勇払のことを意味し興味深く感じてはいたが、肝心のさっぽろの<その入り口>を
見つけてはいなかった。豊平川とつながる鴨かも川のゾーンに、東区の伏古川へと
つながる<その入り口>を見た。さっぽろ川の流域は、街としても茨戸街道界隈
と共通する性格を、屯田通行啓通あるいは神社お寺の多さをも含めて街の中に
保っているのである。中間の計画的人工的<本府>だけが浮き上がりなんとかの
城のように見える。しかし実際はそこが政治経済の中心であり繁華<街>である。
ここでは<その入り口>は本来の自然構造を喪い別の入口が肥大し増幅している。
わたしの<喉ー気管支炎>は、<その入り口>の身体的症候群かも知れない。
こんなに寒くて震えているのは、入り口が発熱して震えているせいだ、きっと。
古いものが古いままにあることを否定して、新しさが意味ある世界とは、常に
追いかけられているような忙しない世界だ。この世界の入り口はきっと新と旧の
廃棄口のように現れてくる。内と外が相互に触れ合い交感しあう場としてではなく。
歩く事の意味も其処では違ってくる。AからBへの移動ではない、AとBの往還
が意味を保つ。棄てるものはない。歩いて発見があり、歩き深まる時がある。
<その入り口>の持つチヤンネルの違いは今どんどん拡がって対峙してくる。
風景として世界が開いてくる<入り口>と、光景として世界が新奇に閉じてくる
<入り口>と。