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テンポラリー通信

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2010年 04月 03日

空知・触れるー夢界(ゆめさかい)(30)

岩見沢に暮らす3人の展覧会も明日で終る。
この間何故、触れると題して3人の視座を見詰めようとしたのかと問うと
心の深いところで、自分自身の事も含まれていたと思う。
母は滝川市の生まれで、滝川の地名の語源はアイヌ語のsoーrapchi
(ソーラッチ)から意訳して滝川となったと後で知る。
思えば母の実家のある滝川市と岩見沢市は似たような街で、やはり親戚の
金物屋さんの奥にも、大きな石の倉庫があった。
岩見沢の商店街の奥にもそんな石の倉がある。
街の気風も似ていて、モダーン好きで消費都市型の気風である。
産炭地を背後に控え、そこからの買い物客がこの都市を発展させたのだろう。
石炭需要が後退すると、石炭繁栄時のまま街の風景が止まっているかの
ような所も似ているのだ。
本州人の移住者が石炭エネルギーの近代を都市化し、ソ-ラッチという
自然風土からかけ離れたモダーン好きの気質を生んだ。
母の実家は大きな本屋さんで、裕福だった。
美人4姉妹の二番目で、唯ひとり滝川から外へ出て、よりモダーンな札幌に
嫁いだ。他の姉妹からは羨ましがられたと聞いた事がある。
聞くともなしに聞いたのだが、母が初恋で憧れた人がいて、その人は後に
拓銀の頭取となった人と聞いた事がある。
北海道拓殖銀行とは、正に北海道唯一の都市銀行として
開拓金融の先頭にあった銀行である。
滝川生れの母の視線が触れていたのは、多分そうした体制的モダーンの
視座だったと思う。
札幌が冬季五輪を切っ掛けに大きな都市改造の嵐に突入した時代は、
母の体制モダーン志向に合致し、父との視座の相違はさらに大きく
乖離したと思う。
父は祖父のもつ工藝への造詣の深さを、美術への志向として受け継ぎ、
そこから自らの札幌を築こうとしていたと思う。
戦後前衛生け花の流れに大きく呼応したのもその証である。
多くの優れた花道人が来訪し、勅使河原蒼風や当時彼の作品撮影を
していた写真家の土門拳にも好かれたという。
後にふたりが著名人になってから、母が話してくれた事だ。
同じモダーンでも、父と母の間には文化軸と産業経済軸の相違があった。
その挾間に私の青少年期の心の亀裂もまたあったと思う。
父の死は札幌オリンピックの動乱前であったから、私の帰郷はその動乱と
母の時代とともに始った。
官が主体となった大規模な都市改造のこの時代は、明治の開拓時にも
匹敵する第二の大きな街造りの時代だったと思う。
そこに共通するものは、真に風土・文化を継承する類のものではなく、
ある先行するパターンの踏襲するモダーンという事である。
近代においてある程度蓄積された独特の札幌風景は、この時根こそぎ
喪われる画一的な風景へと変貌する。
黒澤明が映画「白痴」を札幌で撮影した時あった風景は、後に「影武者」
撮影で黒澤が札幌を訪れた時にはもう既になく、どこでもある風景になった
と黒澤明を嘆かせるのである。
この状況を進歩・発展と思う価値観と、喪失と思う価値観のふたつの近代
の相克を私は父と母の内なる相克に見ていた。
私が今空知を思うのは、そうした母の故郷をもっと良く知りたいと思うから
でもある。
父の保っていた札幌モダーン。母の保っていた滝川モダーン。
このふたつの近代を、transーparent(透き通る)事なく、
私が私であるはずがない。そう思うのだ。
parentとは親の意でもあり、そのtransとは子供という函でもあるだろう。
そしてそのふたつがひとつになって、(透き通る>ことなく如何なる自分が
あるのか、そう思うからである。

今回の<触れるー空・地・指>展は、私自身に即して言えば、
<空知・触れる・指>の個人的な想いもあっての企画展でもある。
その意味で、ひそかにこの機会を与えてくれた3人に深い感謝を
もっている。
何故なら空知に近い岩見沢の天地に触れる3人の視座は、
母の保っていたモダーンとは違う空知・指だったからである。

*「空・地・指」3人展ー秋元さなえ・太田理美・森本めぐみー
 4月4日(日)まで。am11時ーpm7時。
*藤谷康晴展「ANALOG FLIGHT SAPPORO→」
 4月13日(火)-25日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2010-04-03 13:36 | Comments(1)
Commented at 2010-04-04 00:09 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。


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