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テンポラリー通信

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2010年 02月 14日

刃光・冬光ー札幌浪漫(1)

来週から始る高臣大介展「冬光(ふゆひかり)」。
大介さんの気合が入っている。
電話や彼のブログ、案内文からその気合がビンと伝わるのだ。
毎年の事だが、年一回の冬の個展は北海道の彼の原点である。
本州生れの高臣大介にとって、この厳しい寒気の中ガラスで勝負する
のは初の体験だった。
ガラスといえば夏のものという、世間一般の常識を打ち破るエネルギー
が必要だったからである。
さらに彼の吹きガラスは、色を一切使わず無色透明の作品である。
まさに寒気そのものを逆手にとって、需要の落ち込む季節に
勝負したのである。
その気合の原点ともいえる<冬光>が今回のテーマであるから、
気合が入るのも当然と思える。
しかし言うは簡単だが、実行は簡単ではない。
冬の光・寒気を敵とせず味方にしなければならない。
しかも無色透明なガラスである。
自然の力に負けず味方にするには、その形、ライン、光の留め方において
弱々しければ寒気のみが強調され客足は遠のく。
そこで彼の燃える闘魂(!)が燃えさかるのである。
その事が作品のラインに出る。
「燃える男はロック」「跳んでる男のショット」とネーミングされたグラスは、
多大なヒット商品ともなった。
これらの作品を工藝の用の物として見る事は簡単である。
そうではなく、彼の作品には冬と闘う男の生活そのものとしてのロマンが
篭められている。
北で日常をノンベンタラリと過ごす人間にはない、熱い意志がある。
冬と対峙し、冬と真向から向き合う姿勢がいいのだ。
雪国の花などいう、暖かい所への媚びに満ち甘ったれたアート屋の観光
的ネーミングなどよりはるかに凛々しく力強いのである。
よく工藝と芸術とを分類し、あたかも一方が価値的に劣るかのような俗論
が幅を効かしているが、実体はその真逆な事も多々あるのである。
かって柳宗悦が民芸運動で喝破した通り、今もエセ芸術は工藝との差異を
看板にして横行している現状は変わりがない。
何でもアートという呼称にそれがよく表れている。
アートという本来職人の技を指す言葉が、用を超越して輝くような時に
本当の芸術=ファインアートが表出され得る。
ファインだけが単独で成立している訳もないのだ。
アート(技術)があって初めてファインアート(芸術)なのだ。
この関係性はフイジカルーメタフジカルという関係性にも似ている。
メタだけが単独で存在する事がないと同じだからだ。
フイジカルがあってメタが輝くのだ。
ところが時に一般的、俗的にはメタがあたかも単独峰のように扱われる。
この本末転倒が俗なのである。
工藝と芸術。
この差異は日本語の翻訳ほど、本来差異があるものではない。


今高橋秀明さんから電話が入る。
文月悠光さんの詩集「適切な世界の適切ならざる私」が中原中也賞受賞。
史上最年少だそうだ。
文月さん、おめでとう!

*高臣大介展「冬光(ふゆひかり)」-2月16日(火)-22日(月)
 am11時ーpm7時

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
 

by kakiten | 2010-02-14 14:33 | Comments(0)


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