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テンポラリー通信

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2010年 02月 13日

冬光(ふゆひかり)-有機的な世界(23)

「大野一雄頌ーみちゆき」展も終了し、森本めぐみの新作
「なみなみとして、もつ」も明日撤去の予定。
順延した高臣大介ガラス展が来週から始る。
冬の光をテーマに独特の透明な吹きガラスが、会場に煌(きらめ)く。
昨夜も雪が降ったのか、晴れた青空に白い雪が眩しい朝だ。
キーンと張詰めた透明な空気が、ガラスのように感じられる。
太陽の赤を主題にした色彩、生命の再生を深く提示した大野一雄と
森本めぐみの新作展の後、熱い男の透明なガラスの展示が続く。
雪明り、その反射、余光、それら様々な冬の光が、ガラスに宿る。
外界の光を留(とど)めて、再び光を放つ。
色彩は光の彩となって、映ろう色が彩である。
そういう意味では、ガラス自体が光を再生するものなのだ。
透明になるを、<transparent>と英語でいう事に何故か納得する。
生命体もまた、ひとつのトランスであり、親・源(parent)から発して、
移動し、抜けてゆく。
ガラスという素材自体が、光というゆらめく生命の、
結晶する形容体なのかも知れない。
赤・朱という、光と命の色彩。赤・朱のtransparentな形容体。
大野一雄の夕陽の石狩河口舞踏と森本めぐみの作品は、
その赤・朱の透明な形容体であった。

ドイツへ帰国前のMさんが再来訪。
持参のスーパーで購入した弁当を食べながら、今後の事を種々話す。
いつもベッドの傍に飾っているという某作家の話を聞いた。
画廊として独立する前後に激しく惹かれ購入した作品であるという。
一点の作品が人生の節目、曲がり角に存在すること。
そうした作品の保つ力を信じたいという結論だった気がする。
ともにそれぞれの場で、孤独な闘いを強いられる境遇を、その事実を
信ずる事でやりぬく勇気が湧くのだ。
一方で、Mさんが来たと同じ日、某作家の札幌市文化賞授賞式が
華々しくあったとの情報が届く。
おめでたい事だろうが、かってまだ自信のなさそうなその作家が
前のスペースで何度も展示をし、他の多くの優れた作家を紹介した事
もあるのだが、現在地に移動してからとんと顔を出さなくなっていた。
Mさんの来る日と重なり、仮に案内が来たとしても欠席だっただろうが、
勿論案内も通知もなく、もう随分と雲の上の人になられたようである。
Mさんとは、昨日今日を含めてまだたった3度目の対面なのだが、
その志の部分において人と人の交流は、回数の多寡でも
時間の長さでも計れないものがある。
このふたりの時間の量を比べると、その量は比較にもならないのだ。
だから人生、捨てる神あれば拾う神あり、という諺がある。
そこが、面白い。
しかし正確には、この諺は美味しいものに集(たか)る神と、
そうでない神がいるという事が真実だ。
その神の正確な名前は、世間という社会の事である。
そしてさらにその実体は、人間性という神である。

*高臣大介ガラス展「冬光(ふゆひかり)」-2月16日(火)-22日(月)
 am11時ーpm7時
*宍戸優香莉展「むすんで ひらいて」-3月2日(火)-14日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2010-02-13 11:37 | Comments(0)


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