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テンポラリー通信

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2010年 01月 27日

生命の踊り-有機的な世界(8)

初日の昨日、大野一雄先生の石狩河口公演ヴィデオを上映した。
この公演の年に生まれた文月悠光さん、3月個展予定の宍戸優香理さん、
森本めぐみさんたちと見る。
ジャズドラム奏者有山睦さんは前日来て見ていく。
2時間余、声もなくただひたすら見入っている。
最後の挨拶(私の声)が無人の夕暮れのステージが映し出されている
場面に響き、ヴィデオは終る。
途中何度か目を潤ましているかに見える文月さんがいた。
高校最後の年処女詩集を出し、装丁画を描いてくれた森本めぐみさんの
個展に立会い言葉に変えようとしている文月さん、森本さんの出展作品を
見て明日の学校へ行く勇気をもらったと語る宍戸さんと、いいメンバーが
揃って見応えのある上映会だった。
ジャズドラム奏者である有山さんは、舞踏の背後に流れる音楽にしきりと
感心していた。
皇帝円舞曲、ウインナ―ワルツ、ジョンガラ三味線等
これらジャンルの異なる曲目が、何の違和感もなく踊りの中で消化される。
その事に感動していたようだ。
これらポップなクラシック曲は、ジャズも含めてすべて近代の所産である。
我々が洋服を着、靴を履いているのと同じくらい、もう日常化した現在なのだ。
その日常をクラシック、ジャズ、民謡と分断する分類思想は、この大野一雄の
魂の舞踏には存在しない。
<命の源泉へ>と常々大野先生が語っている言葉へと収斂されていく。
大野一雄の舞踏には、正統な近代とも言うべき現在に繋がる近代の本流が、
息づいている。
我々は時として、その正統なる本流を過去として分断、ブンベツしてはいまい
か。今’90年代前後に生まれた人たちが何の違和感もなく、感動の瞳を
潤している。そこに近代と現代の差別、分断は存在しない。
10代後半、20代前半の3人は、今年百五歳、当時85歳の魂の踊りに
ひたすら魅入っていた。
私もまた、何度も繰り返し見たこの公演ヴィデオに見入っていた。
そこにもう20年近く経た時間差は存在しない。
大河石狩川河口。夕陽の沈む真っ赤なゼロ地帯。
この豊かな赤いゼロは、激しくラデイカルに都市の虚というゼロと対峙する
ものである。
夕暮れが深まり、この時見えない河の下には産卵の為の鮭たちの群が
上流へと向かっていたに違いない。
そこで踊られた生と死の境界の舞踏は、生と死に決して分断され得ない
生命の賛歌でもあった。
鮭の個体としての死が、類としての誕生の連鎖の内に表現され、
生命の再生の賛歌として踊られる。
それはさらに国家によって分断された先生自身の舞踏の夢の再生、
アルヘンチーナの再生として、最後に河へと足を踏み入れ踊られるのだ。
大野一雄の舞踏は、生命の源泉を魂の踊りとして再生し、死をも暖かく
力強く、生の側へと革命する。
そこに悪しき近代の閉塞する個はない。

斎藤紗貴子さんの死によって塞がれていた心の傾斜が、少し開く。
見て欲しかったなあ、もう少し生きて、みんなと一緒に。
そう思うのだった。

*「大野一雄頌ーみちゆき」展ー1月27日(火)-2月12日(金)
 am11時ーpm7時:月曜定休・休廊。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2010-01-27 12:44 | Comments(0)


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