朝、留守録がある。
斎藤紗貴子さんが死んだという連絡だった。
自宅アパートで死んでいるのが発見されたという。
18日頃に亡くなっていたようだ。
今夜お通夜。会場は平岸札幌斎場。
吃驚した。
昨年秋携帯写真による2回目の個展を終えてから、しばらく会っていない。
展示写真も置いたままで、その内取りに来るものと思っていた。
お父上の13回忌の命日を選んで個展日程を決め、
風船によるユニークな展示を試みた。
これからいろんな夢を実現させるべく、お父上の車による事故死を乗り越え
ひとつの区切りをつけたばかりだった。
トラックによる轢き殺しを、その会社ひいては監督官庁に至る責任追及を
女ひとりで闘い抜き、多くの無念の事故死の遺族と共闘した。
歌人としての才能もあり、唄も美声で、頭の良い女性だった。
W大の後輩でもあり、同じ友人の坪川光世さんとも友人だった。
そのふたりとももうこの世にいない。
展覧会中帰路何人かと近くの洋食屋に行き、坪川さんの話が出た。
その店を出て、斎藤さんが隣接するビルの名前を見て声をあげた。
あっ、坪川さんだ。
ビルの名前が坪川ビルだったのだ。
そんな些細な事を今思い出す。
斎藤千穂さんという名前を、ここで写真個展を開いた3年前から、
斎藤紗貴子と改名した。
古い名前を捨てて、なにか新しい自分となりたかったのだろう。
急な事で纏まって思い浮かぶ事がない。
切れ切れに断片が浮かぶ。
斎藤さん、立派に闘い、立派に自分らしく精一杯生きようとしましたね。
その事だけは決して忘れません。
いつの日か海を渡り、小さな島で愛猫と彼氏と暮らすの、と夢を語って
いましたね。
その夢を見て眠っていったのでしょうか・・。
安らかにお眠り下さい。
合掌。