<ken from berlin>と題してドイツに滞在している谷口顕一郎さんからメール
が届いた。ハンブルグでの個展は好評だったようで新聞社3社取り上げ、作品も
10点購入されたと書いてあった。今はベルリンに落ち着き4月からアルトナ地方の
アートプロジェクトに参加しコーヒー会社のスポンサーもついて「アルトナ凹みマップ
」を2000部印刷するという。ケンちやんよかったね!サハリンを経由してシベリア
ツンドラ地帯からヨーロッパへ向かったのは昨年の7月末の事だったろうか。ともに
前のあの店あのギヤラリーで汗を流した。1月の閉店の時も深い想いの篭もるメー
ルを戴いた。今回のベルリンからのメールも変らぬ友情、その心の揺れが素直に
記されていた。
ー<そう、1月、中森さんの店が閉まると決まった時。実は僕も札幌に1週間だけ
でも戻ろうつて決めていたのです。大介さんが最後の展覧会を打ち上げるなら、
僕も負けてはいられない!と負けず嫌いの僕らしい発想です。(中略)明日飛行
機のお金を払うという日の夜、コンテナでお酒を飲んでいました。そして何かを
僕の中で探していました。なにかほんのかすかな迷い、札幌に帰ることに対しての
迷い。(中略)そして僕は気付きました。僕はホームシックにかかっていたんだと。
なじみのみんなに甘えたかったのだと。今の僕にとってはドイツにとどまることのほ
うが苦しいのだと。次の日すべてをキヤンセルして、僕は感じました。自分がまえよ
りも少しだけ強くなったように。(中略)今は思い留まれてよかったと思います。もし
あのとき帰っていたらそれまで半年以上にわたって貯め込んでいた何かを失って
ただろう、つて思えます。>ーそうだったんだ。お互いその結論で充分だった。後
を見ず前を見て生きましょう!いつか小山内さんの言っていた公共という開かれた
意味で私はこの私信を公開します。ケンちやん許されよ。連日連夜の引越し作業と
夜の宴会には代わる代わる人が集まりましたがその根底にはケンちやんと同じ
あるホームシックのようなもの、淋しさがありました。しかしそれはマイナスに働くも
のではなく<少しだけ強く>なるためのものでした。そう、その少しだけがすごくい
いのです。その一点が瀬戸際の感傷や強がりと一線を画し今まで蓄積してきた何
かを留めるのです、そしてその爪先の一点が何かを持続させるのだ。そう思う。
ー<そしてもっといいニユース!5月の初めに一度札幌に帰ります。2,3週間。
母の7回忌のためです。(中略)ぜひ会いましょう、のみましょう。>
それでは5月にーと終わりに記された言葉の余韻に応えるように私の中でも何か
が、さらに<少しだけ強く>なって響いているのを感じている。