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2010年 01月 20日

五感の触手ー有機的な世界(2)

五感の触手を如何に解放し現在に保ち得るか。
自然界の生物の有機的関係性を、
如何に精神の有機性として回復するか。
五本の指のように、五感の触手もまた自在に触れ伸びやかでありたい。
現実に対し凝視し、対峙し、俯瞰する。
そんな言葉で、生き抜く姿勢を語ろうとしてきた。
美術家はその行為の軌跡を、表現として梱包したり、擦ったり、俯瞰したり、
凝視して日常の一瞬を定着したりする。
舞踏家は身体の微かな動き、指の先一片にさえ、ひとひらの永遠を伝える。
詩人は言葉の抱擁の僅かな隙間に、熱い呼吸を忍ばせる。
それぞれの五感の触手が伸び、握り締めるもの。
その指先の包む、握る時空に、世界は有機的に呼吸し息づいて見える。
音楽家の指先のタッチもまた、そうである。
同じバッハの曲を弾いても、グレングールドとジョンルイスでは
指先の触れる処(ところ)が違うのだ。

地平線・水平線を考える。
天地を別つ認識のこの知の線を、太陽の赤が溶かす。
その太陽を夕陽といい、朝陽ともいうが、
それは地に生きる人間の認識知である。
宇宙の大火、太陽はただひたすら赤である。
地に生きる生命は身体の内側から応える。
それが朱という赤である。

 <朱>ー松、柏、杉など中身の赤い木を指した指示文字。
 <赤>ー大火である。宇宙の大火、すなわち太陽で、その色はあかい。

この漢和辞典の解読が心を打つ。
蜘蛛の字に含まれる朱もまた、命の中身の朱であるだろう。
古代色の四つの色、青・赤・白・玄(黒)の赤もまた、命の色である。
方角では南の色。朱雀。季節では夏の色。朱夏。
四つの色を感じた古代人は、五つめの色を何処に設定したのだろうか。
多分四つの色を感じる主体の自由を、五本の指の最後の意志、握る指
の総体・掌(たなごころ)の存在のように設定していたのではないだろうか。
四つを繋ぐ、握る感性。五本目は意思。
俯瞰し、包含し、抱擁するもの。
この時タッチは、凝視、対峙し、包む行為は俯瞰し抱擁する。
五感の触手はこうして世界を抱きしめる。

大野一雄先生は今年、横浜・上星川の自宅で眠ったままの百四歳の
新年を迎えた。
眠ったままでも家族は時々音楽を流し、元気でいた時と同じような
日常を創っているという。
先生は眠りながら何処を今彷徨っているのだろうか。
私には解る気がするのだ。
父と祖父の海、日本海を経たカムチャッカ。
そこで今も踊る夢を見ているに違いない。
あの石狩河口公演の後、熱く語った羆の踊り。
それは喪われていた戦後の父の発見・復権だったからだ。
超国家主義によって公的社会に略奪された個としての父。
その再奪取、復活こそが、あの夕陽の煌く河の岸辺、
海への赤い視座だったからである。
大河石狩川の河口の向こうに沈む夕陽・太陽が煌き、
世界は赤く命の輝きに溶解して、人間の知・地の水平線を
解き放ったのだ。
憧れの舞姫アルヘンチーナ。その青春を埋没させた国家そして戦争。
戦友・戦死・お母さん。そして父は不在のまま長い戦後があった。
父を国家から解放したのは河口の夕陽・風・鳥・波。
そこから海へ、日本海を経て父と祖父の働く海へ。
だから、カムチャッカの番屋で羆の踊りをと激しく先生は望んだのだ。
先生の眠っている耳元で、石狩へ行きましょうと語りかけた時と
同じように今、大きな声で先生に囁きたい。
先生!カムチャッカへ一緒に行きましょう!

石狩河口公演の後、先生がいつも稽古場で流す曲があった。
プレスリーの「好きにならずにはいられない」である。
この曲の歌詞を聞き、私はかって思わず涙ぐんだ事がある。

 川が海へと確実に注ぐように
 流れに身をゆだねる時もある
 手をとって、さあこの人生を捧げよう

海流が確実に島へと至るように、海流に身をゆだね海を渡ろう。
カムチャッカの番屋で、父さんの踊りを、見せて下さい。
先生の夢を、私もまた想うのです。

*大野一雄頌「石狩・みちゆき」-1月26日(火)-2月12日(金)
*高臣大介冬のガラス展ー2月16日(火)ー21日(日)
 am11時ーpm7時月曜定休・休廊

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2010-01-20 12:29 | Comments(0)


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