俯瞰と凝視の間に、もうひとつ姿勢があるような気がした。
Fさんが表玄関のガラス戸全部を外して、真正面から作品を撮影しているのを
見ていて感じたものだ。
作品正面に向き合う為に玄関戸という遮蔽物を除き撮影したからである。
これは凝視とも俯瞰とも違う。
写真家の撮影の視座は、時に思考の視座にも重なる。
都市の夜景の点描、ネオンサインを同じ高さで真正面から撮るFさんの
撮影姿勢には示唆される事も多い。
時に人は現実に対し斜に構えたり、ある高みに立って俯瞰したり、
部分に拘り凝視したりするが、この対象そのものに真向から対峙し
見詰める姿勢も必要なのだ。
多分生きる上でそうした状況に必ず遭遇するのだと思う。
その時全体俯瞰や部分凝視だけでは、逃げになってしまうからだ。
ミクロでもマクロでもなく、等身大の視界・思考・対峙。
そういう時はそういう時として、真正面から向き合うしかない。
森本めぐみが今回ここで試みた作品制作の過程には、俯瞰と凝視そして、
真正面の対峙が作品となって顕われていると思える。
会場正面に立ち上がった赤い少女像は、その証である。
世界を分別する地平線とも水平線とも思える横一文字の舟のようなものを
両手に保ち、真っ直ぐ立っている姿にその姿勢がある。
世界を分別し、分類する認知の軸に対し真向から両手で受け止め
胸元に保つ。ここには俯瞰と凝視と対峙がある。
この先作家は、何処へ向かうのか。
内側から溢れ顕在化した、真っ直ぐな視座の先。
その視線の先には、これからさらに向き合うだろう社会・自然・人間との
対峙が織り成す自己史の物語としてきっと拓かれてゆく。
空かすように斜にも構えず、ある高みの俯瞰にも逃げず、内向きの凝視にも
篭らず、真っ直ぐに対峙し、真正面から外界と渉り合う、そんな視線の強靭さ
を感じているのだ。
写真家Fさんの撮影姿勢は、ふたりの作品へのもうひとつの視座として、
私にあらためてそんな気持ちを思い起させてくれた。
*森本めぐみ展「くものお」-1月17日(日)まで。
am11時ーpm7時
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503