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テンポラリー通信

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2009年 12月 26日

断絶と出立ーthe republic of dreams(22)

記憶という土壌には、様々な過去という種子が眠っている。
それはブンベツされ、整理され得るだけに留まるものではない。
時として思わぬ芽を吹き出すものだ。
今朝夢現のなかで、不意に目覚めるものがあった。

 断絶を知りてしまいしわたくしにもはやしゅったつは告げられている

                                  (岸上大作「しゅぅたつ」)

<断絶>と<出立>。
この相反する語義の奥深くに眠っていた何かである。
過去はともすれば分類され、ブンベツされ、収納されてある。
現在という時間はそこを揺り起こし、目覚めさせ今のものとする。
ブンベツと断絶の違いを明らかにする。
断絶はその時点で、磁場へと転位するのだ。
<しゅったつ>の契機を孕むのだ。

朝早く思いがけず京都にいるはずの唐牛幸史さんが訪れる。
札幌のお父上が先日亡くなられたと言う。
それで札幌に急遽帰郷したという。
お悔やみを述べた後、今月目黒美術館以来なのでしばし「”文化”資源
としての<炭鉱>展」の話をする。
東京2日目唐牛さんと別れてからの事、川俣正の展示のこと、話は尽きない。
また偶然昨日再放送されたNHKの奥井理の追悼番組に唐牛さんが出ていた
事もあり、18歳で事故死した奥井理さんと出会いの事も聞いた。
ここでも生と死の<断絶>と<しゅったつ)が、話題となった。
生と死とはある意味、究極の断絶である。
そこからどう、人は<しゅったつ>していくか。
奥井さんのご両親あるいは村岸さんの母上。
ともに死の断絶から出立を意識化していく過程がある。
そこには悲しみという深い淵を経て、その坩堝から這い上がるさらに深い
愛がある。
愛こそが出立へと繋がる真の契機となる。
深く愛するからこそ、その深みにおいて、さらに深く開くものがある。
それがきっと<しゅったつ>なのだ。
村岸さんのお母さんが、一周忌の追悼展が終った時お礼ですと言って、
ここのトイレを掃除してくれたことを話すと、唐牛さんの顔が柔らかい笑顔で
崩れた。なによりですねえと微笑んだ。
死によって閉じた心が、自分の知らない息子を多く知る事で、
より俯瞰した個としてある類的存在に出会っていたからだ。
もう私だけの子ではない。死と向き合って知った今の<断絶>から
新たな地平の<出立>の磁場に今いる。
父上を亡くしたばかりの唐牛さんにとって、この断絶は正に今新たなる出立
でもあるのだ。
死は生に対し限り無く遠く、そして濃い生の磁場として顕われる。
そこを繋ぐ磁極は、故人へのあるいは遠く離れたものへの深い愛だ。

生きる事は、時に断絶の連続である。
しかしそれは、決してブンベツではないことだけは確かなのだ。
過去という芽もまた、現在という土壌にそうして立ち顕われる。

*森本めぐみ展「くものお」-12月15日(火)-1月13日(水)
 am11時ーpm7時・月曜定休:12月31日ー1月4日まで正月休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-9斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-12-26 15:54 | Comments(0)


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