夢を見た。
もう内容も思い出せないのだが、感覚は残っている。
そして、古い鉱脈に気付く。
心の落盤事故、その挫折を意識化したのだ。
久し振りの東京行。
その事が心の地層の奥を掘り起こしたのだろうか。
立て抗、斜坑、水平坑、露天掘り。
そんな感じで人と会う。
時間の鉱脈を掘り当てる。
目黒美術館「”文化”資源としての<炭鉱>」展。
キュレーターの正木基鉱山主が、見事な同時代の炭田を開発した。
そう思う。
近代と括られる石炭の時代。
近代は初めから近代であった訳ではない。
当時近代は最先端の現代である。
最新の工法で、大地の奥に眠る鉱脈を掘る。
液体燃料との相違は、化石燃料には人の手が直に触れる事だ。
大地の奥に眠る縄文以前・地球に触れる。
その最前線の現場に、人の手がある。
自然と人間の回路が濃いのだ。
石油にはそれがない。
地中の奥深く地球に触れ、人間の生活がある。
現代に喪われて来た回路である。
その回路を見直すこと。
それが現代を見詰めなおすひとつの契機にもなる。
時の急速な流れに埋もれ忘れられた個々の記憶の鉱脈。
自ら触れ、喜び悲しみ怒ってきた時間の鉱山。
そこにもう一度触れる。
その回路の在り様が、立て抗、斜坑、水平坑である。
昨日の夢の回路は、あれは間違いなく垂直抗だ。
私の東京時代、それが基層低音(トニカ)にある。
そして、正木基さん、川俣正さん、吉増剛造さん、今年沖縄で出会った
若い岡部ケンジくん。あっ、石田尚志さんとも会える。
これが私の記憶の炭田、鉱脈である。
直に触れた時代の記憶である。
記憶の触手が直接触れた俺の炭鉱、俺の記憶の工夫さん。
液体燃料の現代が捨て去ってきた直接性である。
ブンベツされ捨てられた廃炭すら、時の経過で緑のズリ山、緑のボタ山。
石油にはそれがない。
CO2の排気ガス、空にばら撒かれて姿は見えず、地球を過保護化し、
島を沈め、極を喪失させ、横並びの東奔西走。
それをグローバルとかいって、画一化のオンパレード。
ムラもマチもゾーンとしての界(さかい)を喪い、中央>地方の一極化。
今回の東京行きは今までとは違う。
そんな予感がひしひしとある。
*森本めぐみ展「くものお」-12月15日(火)-1月13日(水)
am11時ーpm7時:月曜定休・12月31日ー1月4日正月休。
*”文化”資源としての<炭鉱>展ー12月27日まで。 目黒区美術館。
:part1<ヤマ>の美術・写真・グラフイック・part2川俣正コールマイン・
プロジェクト「景」・part3映像の中の炭鉱。夜の美術館大学全15講座。
:part2は12月11日で終了。
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