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テンポラリー通信

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2009年 11月 29日

鈴木悠哉展最終日ーkind of blue(23)

毎日鈴木悠哉さんの作品を見ていて、少しづつ印象が変わる。
ある人が2階に上がり、洩らした言葉がきっかけである。
砲弾のように見えるとその人は言った。
床面に置かれた紙粘土で固めた句読点のような立体の事である。
この表面に出た先の下には、さらに埋まっている存在がある。
そう、その人は感じたのだろう。
浮遊する浮遊植物の根のように思っていたのだが、その言葉を聞いて、
私の感じ方も変ってきたのだ。
彼には、福島の農民の根がある。
この会場は彼の畑でもあると、その時感じたのだ。
そうすると2階会場の作品群の見え方も変わってきた。
ジュンサイの芽のように、透明な膜で包まれた作品たちが、
作家の大切な苗のようにあるからだ。
柔らかな地雷原。
吹き抜けから見下ろした風景がそのようにも見えてきた。
浮遊する心の風景が、都市の空洞に種子を空爆する爆弾のように投下
して、この作品空間はあるのかも知れない。
現代の都市を浮遊する彼の農民魂は、時に凶器の陰を翳(かざ)して
幻の畑に恋しているのかも知れない。
3日間の展示作業を終えた後の、作家の何ともいえない初日の表情を
思い出している。
あれは作家というよりも、農民の己の畑に対するエゴの表情である。
何よりも耕した畑への強い愛着と、他者への排他的な守護の表情だった
ように思えるからだ。
この事を彼は意識的に修正しつつ、なるべく今は触らないように心掛けて
いるかに見える。
私のような都市ッ子にはない、執着を感じるからである。
しかし展覧会とは、そうしたエゴから外界に作品を解き放つ時空である。
その事を作家も理性的には、納得しようとしている。
しかし心底では、己の畑への濃い執着がある。
その心の動きが、最終日の今日まで感じられてならない。
作家の出自で作品を解釈し結論付ける気は毛頭ない。
しかしどうしようもなく出自するなにかは、あるのだ。
優れて農民である事を、自らの生まれ育った風土として、この植民地都市
たる札幌という都会で、顕在化する事は何ら恥じるべき事ではない。
実際に彼の生家が農の職業であるかどうかは不知である。
ただ彼が福島から札幌に出てきて、ぽつりと自らを語った時の言葉が、
その言葉だったからでもあり、私が違和として感じていた肌合いがそうだ
ったからである。
東北といえども津軽、南部、会津、伊達とそれぞれの地域が濃いのだ。
北海道や特に札幌にはない濃さがある。
その相違の発見から、何事かが始る。
旅をしたり故郷を離れるという事は、そういう事の発見にこそ意味がある。
鈴木悠哉さんは今初めて、自らの出自も含めて自己表現の端緒にいると
私は思う。
浮遊する現代社会のなかで、東北とは、福島とは何か。
自らの心の大地に、幻の耕作地を幻想農園のように、凶々たる殺意も含めて
耕作した個展であると思う。
これは今流行りの遊びのマイアプリ農園ではない。
都市に対し内なる郷土の凶器を潜めた、真剣な農園なのだ。

*鈴木悠哉展「トレモロ」-11月29日(日)午後7時まで。
*森本めぐみ展「くものお」-12月15日(火)-1月13日(水)
 12月31日ー1月4日まで休廊:月曜定休日。
*12月1日ー14日まで東京出張・作家展示で休廊。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-11-29 13:35 | Comments(0)


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