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テンポラリー通信

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2009年 11月 25日

岩見沢再考ーkind of blue(19)

岩見沢の位置は、空知と石狩の境にある。
岩見沢の地名を調べてみた。
ここは開拓時代から交通の要衝であったらしい。

 明治15年(三笠市に)開拓使が開拓の為集治監を設置し、その折同監に通う
 人達が一棟の休憩処を利用して湯に入り疲れをいやした浴沢(ゆあみざわ)
 から変化して今日のように呼称されるに至った・・。
                              (「行政区画便覧」)

街外れの埋め立てられた川跡は、とねべつ川(ト・ネ・ペツー沼のような川)。
これでみると、緩やかな丘陵地帯で、川も沼のように穏やかに流れた場所
のようで、歩いた印象と合致する。
それは休息所としてあったという事からも、その感じは確かめられる。
さらに石炭輸送の中継地点として、何本もの鉄道が重なり中継駅として
栄えた都市構造が見えてくる。
都市を支えるエネルギーには、それぞれに違いがある事を感じる。
帯広は豊かな農業・畜産という大地の恵みがそれである。
岩見沢は石炭産業とその輸送・汽車が、そのエネルギーと思われる。
さらに言えば札幌は、開拓中心地としての官エネルギーである。
都市(まち)は、その中心エネルギーの在り方の相違によって、匂いが違う。
中継都市岩見沢の匂いは,物流に伴なう本州人の匂いである。
官の近代化や先住民族の匂いはあまり感じられない。
街の地名からしてそうなのだ。
豪壮な料亭や寺院にその面影がある。これは本州・内地への憧憬にある。
繁華街にある立派な蔵もまたそうである。
移住者の末裔である我々は、そこにあるノスタルジーを感じるのだ。
近代都市(まち)のある原型が漂っている。
札幌は、官の近代化のモデルゾーンでもあり、洋が基本にある。
しかし岩見沢は、もっと民の様相が濃く移住者の故郷への想いが主に
あって、本州的な構造物が多いのだ。
物流の中心として本州人の出入りが多かった所為もあるのだろうか。
山田秀三や更科源蔵のアイヌ語地名の本で調べても、岩見沢の記述は
少ない。冒頭の引用以外の説明はないのである。
その意味で岩見沢とは、純粋開拓近代の都市(まち)ともいえる。
札幌などの下町、繁華街の原型が色濃く残っているのだ。
東屯田通、茨戸街道沿いの下町、ススキノ界隈の寺町、そうした民の都市
(まち)の構造と空気感が同じに思えるからだ。
御用商人の繁華街札幌駅前通とは違うのだ。
本府と呼ばれた道庁中心の官の街に漂う、ちょっとスマシタ洋の匂いは
ここにはない。
その代わり移住してきた本州人の内地の都市(まち)の匂いが濃厚にある。
それもまた北海道の近代の原風景である。
先住民族アイヌの人たちの主役は大地である。
自然がエネルギーの主役である。
移住者の主役エネエルギーは都市(まち)であり、
その出自が生む憧憬ではないのか。
富を求めて移住して来た者には、その富の集積が都市(まち)となる。
その意味で岩見沢とは、移住者の内地浪漫の集積都市とも思えるのだ。
だから私のような札幌っ子にも懐かしい、ある時代の街路の匂いがするの
である。
岩見沢とは、移住者の本州(内地)憧憬が生んだ、純粋近代都市(まち)でも
在るのかも知れない。
そういう石炭エネルギーとともに拓かれた近代都市風景もまた、
北海道ではないか。
そこには憧憬の濃い分だけ、純粋培養された内地(本州)の都市風景が
残る。望郷浪漫の所産である。
この洋への憧れとは違う浪漫もまた、優れて近代の所産なのだ。

*鈴木悠哉展「トレモロ」-11月29日(日)まで。
 am11時ーpm7時

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-11-25 13:32 | Comments(0)


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