古いさっぽろ川ー伏古川沿いにパラト街道(元村街道)は、茨戸まで続く。
パラトは、アイヌ語で広い河口を意味し、ここで伏古川が石狩川と合流している。
創成川も茨戸につながり、陸路と水路が集結してくる。ある時期までここが
さっぽろの出入り口であったのは間違いない。その後汽車が小樽と札幌を
結びもう一つの駅ー出入り口が中心になっていき、石狩への回路は忘れ去られ
つつ今日に至っているのだろう。しかし、小樽は後志地方と今でも天気予報で
区別されるように、石狩とは自然の在り方が違う。文明の利器ー機械によって
私たちは2つの身体を身に着けたと思う。<頭と手の間に機械が入って分断し
てしまった>-リンドバーグ夫人(海からの贈り物)自然の身体性からは、旧
さっぽろ川につづく川の出入口、それと対峙するように駅(ステーシヨン)という
機械が開いた出入り口。そしていま問われているのは、自らの身体性に繋がる
回路をどう回復し、非等身大の世界とどう対峙できるかという問い掛けである。
札幌という都市は、近代そのもののように発展し膨張してきたが、近代以前
は中世も近世もなく即自然と接する優れてコンテンポラリーな現代を包含
したゾーンとして考えられる。この2つの出入り口は象徴的に存在し、
そこに拡がる街の違いもまた象徴的である。
鴨かも川沿いに、西へ拡がった行啓通り、東屯田通り等の古い街は
神社、お寺の多さといいパラト街道沿いの街との共通性は物と人の親和力が
ベースにある事だった。道庁と駅で分断されてもこの街は等身大の街なのだ。
そして同じ川筋を元にできた街なのだ。
わたしは、自分の生れた街がビル化しブランドの街となり、今また高層の
住まいのビル化した街となって、いわゆる発展し新しくなる事との違和をどう
歯どめし、さっぽろで生き抜いていくかを具体的にしかし精神的に確かめる為
このブログを書いている。一つの出入り口は、政治経済に基本があり、もう
一つの出入り口は、自然文化に拠っている。勝ち組みー負け組みなんて
ものじやなく自然文化に根ざした自立をと思うのだ。
そんな街にこそルネッサンスを!決して創成川ルネッサンスなどではなく。