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テンポラリー通信

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2009年 11月 19日

時計台の原位置ーkind of blue(14)

昨日の道新朝刊に時計台の流転が載っていた。
創建時は現在地より130m北東寄りの場所に在ったという。
地図で見ると今のネットカフエがある辺りらしい。
このネットカフエには記憶がある。
円山北町を去り札幌漂流を重ねていた私は、現在の場所に落ち着く間
ここからこのブログを打ち込んでいた時期があったからだ。
引越しで一時期ネットが繋がらなかったからである。
古地図と地盤地質図を片手に、札幌を3カ月歩き回っていた時期である。
この時唯一の社会への窓口が、日々の日記・ブログだった。
一日の行動を記録する客観的なこの時間は、自分にとってとても大切な
時間だったのである。
札幌の原風景を足で辿り、その等身大の身体風景に触れていた時期で
ある。
その記録の拠点が、本来存在した時計台の位置と重なる偶然に驚くのだ。
市内にいくつかあるネットカフエの中から、何故あの場所を選んでいたのか。
今改めて思い起せば、単純にそこが一番居心地が良かったからである。
他の店は狭かったり騒がしかったりして、集中できなかったのだ。
最近AYAの名唱「この道」(*)を聞いて、札幌の近代原風景に感動した
だけに、あらためて時計台との縁を思うのである。
都心の駅前通りで生まれ育った私には、時計台の鐘の音は幼い頃日常
のものであった。その音色は近くまで響いていたのである。
北原白秋が歌詞に留めたような牧歌的な札幌では勿論なかったが、
そうした雰囲気はまだ漂っていた気がするのだ。
鐘の音が響いていた記憶があるからである。
高層ビルの谷間に時計台も鐘の音も沈んでしまったのは、
冬季五輪前後の事である。
札幌の人口は’60年に五十万を超え、’70年に百万を突破し、
現在は二百万に至らんとしている。
全道の人口は減少気味の傾向にもかかわらず、札幌だけが倍の倍の増加
を続けてきたのは、産炭地等の周辺の人口流入が続いていたからである。
石狩地方ではなく、札幌市のみが消費都市として肥大化してきたのだ。
その都市肥大の内に時計台は埋没してきたのである。
そして冒頭の記事は、時計台の創建地を記した跡碑が流転を繰り返し、
今とあるバーの片隅にひっそりと在る事実を伝えていた。
人目にも触れず見捨てられたかのような時計台の原位置を示す跡碑。
その漂流する存在に、近代札幌を捨象してきた現在と漂流した自分を重ねる
私がいるのだ。
私が札幌漂流し探していたのは、この札幌の原身体、本来の姿である。
それは札幌という故郷の原点確認、再発見の旅でもあった。
その旅の発信拠点があのネットカフエであり、そこが真の時計台の位置
であった偶然を、今深く愛しいまでに感じている自分がいる。

*鈴木悠哉展「トレモロ」-11月11日(水)-29日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休・休廊。
*森本めぐみ展「くものお」-12月15日(火)-1月13日(日)

(*)この道はいつか来た道 ああ そうだよ あかしあの花が咲いてる
   あの丘はいつか見た丘 ああ そうだよ ほら 白い時計台だよ
   この道はいつか来た道 ああ そうだよ お母さまと馬車で行ったよ
   あの雲はいつか見た雲 ああ そうだよ 山査子の枝も垂れてる

                 北原白秋作詞・山田耕作作曲

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-11-19 14:01 | Comments(0)


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