昨夕電話が鳴る。沖縄の豊平ヨシオさんからだ。
着信前私もこの日二度ほど電話を入れていたが、通じなかったのだ。
以心伝心ですねと話した。
私の用件はお送りした村岸宏昭さんの本の感想を伺う為だった。
送ってもう何週間かが経っていた。
豊平さん曰く、今日アマゾンから届いたのですよ。
5冊注文したのです。沖縄のこれはと思う誰かに贈呈しよう
と思っているのです。
注文した本が今日届き、ほっとしてお電話したのですと言う。
北の若い人がこんなに頑張って生きていた、その事を
沖縄の若い人にも伝えたいのです。
嬉しかったなあ。
その訥弁のどもりながら語る電話の声に私は胸が熱くなった。
自分は言葉の人間ではないので、上手く語れないのだが
あなたの文章には心打たれました。
いわゆる美術批評ではない言葉です。
これ以上書くと自画自賛ぽくなるので止めるが、私は私の生の現場で
見詰めるように言葉を発してきた積りなので、豊平さんの電話は素直に
嬉しかったのだ。
そしてなによりも、生前一度もあった事のない村岸さんの遺作集を5冊も
注文していてくれた事が嬉しかった。
生きている時間のある種猥雑で雑多な現実現象が透き通り、より本質的で
透明な時間を保つ事がある。人生にはそうした時がある。
親が生きている時がそうだった。
煩いなあ、離れたいなあと思っていた時もある。
しかし現実に不在となった時、そのデイテ-ルは消えて、もっと透明な
真実のようなものが見えるときがある。
メタフイジカルな時間。trans・parent(透き通る、透明な)時だ。
このtransという<函>の時間こそが生きている事の実質のように思える。
この時子供は初めて、両親(parent)という両性から自由になる気がする。
父でもなく、母でもなく、自分という透明な存在として、
<函>というtransになるからである。
村岸宏昭の本はそうした透明な函の証左でもある。
ムラギシという、透明な溢れる函(トランス)でもある。
そこに沖縄から触れた人の声がこれからも届くだろう。
豊平さんが5冊のこの函(トランス)を、中継しつつ
<trans mission>してくれるのだ。
また会いに行きますと応えて、電話を終えた。
思えば豊平さんとお会いしたのは、’92年の11月テンポラリー個展以来、
今年2月の訪沖で2度お会いしただけなのである。
人と人の心の回路は物理的なものだけではない。
もうひとつ回路がある。
それもまたtransという<函>の保つ回路であると思う。
作品とはその回路を凝縮した、美しいtransそのものではないのか。
その函はプリズムのように、他者へと開かれ発信していくのだ、
*鈴木悠哉展「トレモロ」-11月11日(水)-29日(日)
am11時ーpm7時:月曜定休・休廊。
*森本めぐみ展「くものお」-12月中旬~
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503