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テンポラリー通信

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2006年 03月 14日

水際の闘いー岸辺の表情(6)

昨日受け取った裁判所の命令書を見ながら心の奥深くで白い炎のような怒り
を感じる。自らが招いた事とはいえ銀行の口座まで差し押さえるとはと思う。な
にも無いのに、隠す財産も無いのにあの建物だけでも25年経っても価値を損
なっているどころかより輝いているのにまだ嵩に掛かってくるかという想いであ
る。当面電話や公共料金の振り替え、入金等が用を成さない。私有に基ずく法
律の前でこの街の街角とは、そこで織り成された時間の蓄積とはなんなんだろ
うと思う。価値観の違いだけで済まされるのだろうか。対峙するふたつの価値観
の狭間の闘いを共に<公>として明らかにしていく、その為に今ささやかなこの
ブログを書き続ける。あの一本の白樺にさえ、あの一叢の窓辺の蔦にさえ時間
の蓄積の美しさが在った。成長した結果だけを見るのではなくその過程の時間
こそが結果なのだ。外壁に貼った銅板の時間の保つ色、内壁の漆喰の汚れそ
れらすべてがその過程の時間の美しい結果なのだ。それらが総体としてひとつ
の街角を創っている。<公>とは何か。ひとつの方向を見ているのが<公>で
はない。かってひとつの山をまるごと削り宅地にしようという動きがあった。それ
はさすがに途中でストップされたがその痛々しい痕跡は今も見る事ができる。
手稲山三角山がその例である。山や川だけが<公>ではない。人間の創った
空間もまた<公>を保っている。それが文化ではないか。<私>はそれを消去
する為にあるのか。<私>があくまでも私有である限りもうひとつの<公>には
至らない。惹かれ者の小唄を歌っている訳ではない。私有という形で閉じていく
<私>のあり方を現実として受け止めている謂だ。そこに街角はない。私有する
物が混在しているだけだ。己自身の非力を痛感しつつそれをバネにして今を生
きる。それが闘いと思う。価値観の違いだけの二元論には決してしない。

by kakiten | 2006-03-14 12:20 | Comments(0)


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