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テンポラリー通信

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2009年 11月 14日

内と外ーkind of blue(10)

洋館のもつ魅力は、異国性、外来性を持ちながらも不思議な居心地の良さ
を感じる事である。
そこでは和の懐かしさと同時に他国の新奇さが調和して共存している。
洋間の漆喰の白い壁、縁側のガラス窓と和室の障子窓。
かって北一条通に在った鬼窪邸に展示した戸谷成雄作品、
先月まで唐牛幸史展のあった旭ケ丘旧山下邸。
ここでは現代美術の先鋭な作品が何の異和感もなく共存し呼吸していた。
それは、これらの建物が外から来た西洋様式と伝統的な日本様式が交叉し
つつも、その境界を豊かに溜めて空間として保っていたからである。
明治という時代は急激な近代化、西洋化にもかかわらず、一方で外来文化に
対峙し消化する先人の労苦が、独特の空間をも生んでいたのである。
それは言ってしまえば、界(さかい)の保つ豊かさともいえるものである。
<隔たり>や<際(きわ)>も保つ豊かさである。
この現象は自然に置き換えるとよく解る。
湿地帯の保つ豊かさがそうである。
陸でもなく水でもない。このふたつの間に存在する湿地帯は、
生命の宝庫として今は考えられている。
身体に置き換えれば、五感の裏側に存在する粘膜のような緩衝地帯である。
この内と外を繋ぐ間(あいだ)に、柔軟な豊かさがあるのだ。
洋館建築にもそうした間(あいだ)の苦闘の豊かさがある。
それが私たちを洋と和のニ分割に引き裂かず、
居心地を良くさせてくれる基底にあると思われる。
この外来するものと内在するものとの境目の存在を抜きに、新旧の交代速度
のみを競っているのが現代とも思える。
北村透谷が喝破した<革命にあらず、移動なり>とはその速度の貧困の事だ。
しかしある種の近代の洋館を見ても、外人は決して自国の館と同じとは思わ
ないだろう。それらはあくまでも日本の建物と認識される。
現代のバブル期に出没した何とかワールドのようなただ単に移築しただけの
テーマパークの洋館群とは違う。
近代音楽の世界においても同じ事がある。
伝統的な五音階の音楽に対し、七音階の西洋音楽を駆使して創られた曲を
今私たちは懐かしく享受できるからである。
明治の西洋化に次ぐ外来文化とは戦後のアメリカ文化であった。
しかし戦後の時代にはもう明治のような外来文化との葛藤が失せている。
ただただ物の貧しさを、豊かさへの憧れとしてアメリカを取り入れたように思える。
しかしそうした考えを再認識させてくれたのは、沖縄である。
日本本土とは違い27年の長いアメリカ占領時期のあった沖縄では、
アメリカが沖縄独自に消化され間(あいだ)として、根付いている。
駒沢敏器著「アメリカのパイを買って帰ろう」(日本経済新聞社刊)は、そうした
事実を教えてくれた本である。
表題のアメリカのパイとは、戦後アメリカ人が持ち込んだアップルパイの事
である。それが今はもう沖縄の固有の食物のように、「ジミーのアップルパイ」
として根付いているのだ。この本はそうした沖縄固有のアメリカ文化を、
ポーク缶詰やコンクリートブロック建築、ジャズを中心にしたラジオ音楽等を
通して検証している。
そしてそれらが明治の洋館や音楽のように、差異の境を豊かに埋めて固有の文
化として根付いている事を証明してくれるのだ。
この事実は私には新鮮な驚きだった。
そのように私たちはアメリカを消化してきたのか。
異質文化を界(さかい)として溜め育んできたのかと、あらためて問うのである。
移行や移動のように溜めもなく転換してきたのではないのか。
占領期間長さの差異も勿論外的要素としてあるのだが、その間の精神的葛藤
の熟成度の問題でもある。

 現在のジミーのアップルパイは、アメリカの味そのものではない。

そう、パイはもう沖縄のアメリカ、洋館のように自立した味文化なのだ。

*鈴木悠哉展「トレモロ」-11月11日(水)-29日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休・休廊

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-11-14 14:20 | Comments(0)


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