人気ブログランキング |

テンポラリー通信

kakiten.exblog.jp
ブログトップ
2009年 11月 12日

ジュンサイの沼ーkind of blue(8)

晴れた冷気の中を走る。
初冬の朝スフインクス頭が揺れている。
2日振りの自転車。
陽光が南から射して、会場が光燦々。
吹き抜けから下を見る。
壁に貼られている作品の何点かは透明なビニール袋に入っている。
よく見ると2階の壁の作品もそうである。
陽だまりの空間に、これらのドローイングが浮遊しているようだ。
ふっと春の山菜、沼に浮かぶジュンサイを思い出していた。
透明な膜に包まれヌメリのある水中植物の若芽である。
根茎が水中の泥の中を横に伸びながら新しい芽を出して増える。
寒天状物質に包まれた若芽を食すのだ。
今回の鈴木悠哉展「トレモロ」は、春の明るい沼に似ている。
秋という境(さかい)ではなく、春という境(さかい)を感じるのは、
彼の今生きている青春の所為だろうか。
旅を続けたいという彼の浮遊性は、今回ジュンサイの沼という感じで出ている。
それはしかし決してどんよりという沼ではなく、陽だまりの明るい沼という感じで
ふんわりと、たゆたっている。
昨夜閉廊間際バイトを終えて来た彼は、できるだけこの空間に居たいと言っ
た。この沼は時に彼の部屋でもあるのかも知れないと、その時感じたのだ。
時代や社会、自然からふんわりと離れて、純粋に浮遊する空間がある。
彼が主に見ているのは、製作中の照明の閉じた空間である。
週末の土、日曜日にどんな反応をするのだろうか。

境界(さかい)が希薄になるのも<旅>の特性である。
しかしもうひとつ旅には、異界の体験、境界(さかい)の新鮮な発見
という本質がある。
境(さかい)を曖昧にして、浮遊するだけが旅ではない。
現実社会の保つ格差・区別の境を嫌い、浮遊するのは、
対処療法的危うさも併せ持つ。
いわば逃亡者の難民・漂流者の位相なのだ。
都市のインフラソフト装置と同じ構造である。
都市の真ん中に在る空洞の構造は、金魚蜂の中のように
浮遊するモノで充たされている。
鈴木悠哉が福島から出てきて、北の都市札幌で感受したものが浮遊性
の純粋化であったとしたなら、その旅が本当の旅と私は思わない。
差異の発見という、旅の開かれた界(さかい)の存在が希薄だからである。

とはいえ、昨日都心の地下画廊で展示経験をしたふたりが見えて、
1時間以上もゆっくりと見て熱く語り帰っていった。
それはなによりも作品がもつある解放感から発していて、浮遊性の保つ
優れて開かれた何かではあるのだ。

*鈴木悠哉展「トレモロ」-11月11日(水)-29日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休・休廊。
*森本めぐみ展ー12月中旬~

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-11-12 12:50 | Comments(0)


<< 際(きわ)に至れりーkind ...      鈴木悠哉展初日ーkind of... >>