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テンポラリー通信

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2009年 10月 23日

ペットボトル一本の闇ー’Round midnight(20)

 
  ああ闇はここにしかないコンビニのペットボトルの棚の隙間に
                         
                     (松木秀「5メートルほどのはてしなさ」)

山田航という’83年生れの歌人が、昨日の道新夕刊に上記の短歌を引用して
「わが短歌の原風景 札幌」という一文を書いていた。

 北海道とは、それ自体が本州の郊外に建設された巨大なニュータウンなのだ。
 ニュータウンは奇妙な明るさをもっててらてらと輝いている。そこは消費しか
 ない世界なのだ。生産の裏でこぼれてしまう闇は、もうコンビニの棚くらいに
 しか存在しない。

いつからか、コンビニ世代という言葉が浮かんでいた。
若い人の作品で、夜の無人の街路にそこだけが蛍光灯で輝いているコンビニ
の写真を見た時だ。
限り無く人の気配は消えて、コンビニだけが明るく影を喪って夜に浮かんでいる。
商品が主役の明るい空間。かっての駄菓子屋さんの世界は今、人の気配のない
モノだけ輝いている明るい闇の世界なんだなあと、その時感じたのだ。
山田航さんが引用している歌にもその事が窺われる。
さらに今住む札幌という都市自体にも、その視線は構造的に切り込んでいる。
 
 文化の発信地は常に東京であり、北海道は都心部をもたない巨大な郊外と
 してでんとそこに置かれているように思えるのだ。・・・(中略)
 近代以降に整備された人工都市・札幌にはとりわけ顕著な「空洞」傾向が
 ある。

若いコンビニ世代に、ここまでの自覚がくっきりと芽生えている。
前述の写真でも文章でもこの自覚が私などとは違う角度からではあるが、
同じ時代の切り口の自覚で世界を見ているのだ。
これはすごく励まされる事実である。
「空洞」という明るい穴のような通路に群がる無自覚なブンカイヴェントを苦々しく
孤立無援のように思ってきた私には、この若い世代の自覚は本当に勇気付けら
れる事である。

 しかしいくら北海道の郊外の奇妙さを見つめたところで、私にとっての故郷は
 ここにしかない。・・・
  
 たぶん親の収入超せない僕たちがペットボトルを補充してゆく

ペットボトル一本の孤独、闇。
そこを拠点に補充して生きてゆくこの自覚こそが、真にラデイカルに今を生きて
ゆく同時代の基調低音となるものと思える。

*斎藤紗貴子展「明日への自由」-10月27日(火)-11月1日(日)
 am11時ーpm7時

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503


             

by kakiten | 2009-10-23 12:33 | Comments(0)


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