なんとか原稿仕上げて送信。気が抜けた。
なんと言われるか、まだ返事は無い。
重たいテーマを、ヤクザな根性で思い込み多く書いた気もする。
まあ、いつもの事である。
この2,30年の総括とも思える。
2カ月に一度の通院。血圧高め。薬を貰う。
腎臓に気をつけるようにと忠告される。
山に行きたい。汗を沢山かきたい。
紅葉の中を疾走り抜けたい。
私はグループ向きの登山ではない。
ひとりで走る、
いつだったか、登山好きの人に怒られた。
先頭、しんがりは、真ん中の人たちのペースを考える。
あなたみたいに、どんどん韋駄天走りをしては統率がとれない。
登山家失格ですと、その人の顔は語っていた。
大きな深い山で何日も登高する山ではなかったが、原則はその通りなのだ。
それからひとりで山に行くことが多い。
多くても2,3人。
山とだけ関係を保ちたかった。人間関係という社会性は抜きたかった。
それがないから、山だ。
登山道以外を好んで歩いた。新鮮な目と皮膚と耳の発見があった。
心身が山の懐に洗われ、活きかえる。
山は全身の新陳代謝である。
時に佇み、天地に広がる緑、紅葉の中に横たわる。
持参した紅玉と同じ色の森の斜面に腰掛けて、風と葉音を聞いていた。
緑の時は、むせ返るような若葉青葉の匂いに染まって呼吸した。
夏の沢歩きの爽快な汗と水。
冬の真っ白な雪と空の青の世界。
そして木の幹と枝の、命の黒い曲線。
いつも山は私の命を再生してくれる。
プロの登山家には笑われるのかも知れない。
死と向き合う厳しい登山を、君は知らないと。
私はその意味では登山家ではない。きっと遊山家なのだと思う。
私はそういう山でいい。