石狩に上陸する予報はないけれど、なにか嵐の前のような灰色の空気である。
そんな日ムラギシのCDを聞く。
海の波音、川の音、バスの中、街の音、バッハ、ロック・・。
正に「越境的」であり「未分化的」(南聡・作曲家)な音の集積である。
場所もジャンルも超えて、透明な風か波のように疾走して行った。
そう思う。
台風の近付く前日、なにか風の予感に満ちて聞くのがいい。
個展中ダビングしては販売していた「銭函→星置」の曲が懐かしい。
”会場費が出ますよ”と、沢山売れて嬉しそうだった。
日本海の波音を収録して、ギターが応える。
さらに注書きに拠れば、「木は水を運んでいる」展で使用された、
円山川源流の川音もここには収録されているという。
展示に使用した倒木の白樺のあった場所である。
源流の川音と川の還っていく母なる海の波音。
そして、この水の始まりと終りを繋ぐふたつの始原の水音を繋いで、
白樺があったのだ。
その回路としての白樺をみんなが抱擁して、目を瞑り耳を澄ました。
白樺は私たちとムラギシの共同行為の回路だったと、あらためて今また思う。
とりわけバシュラールの「物質的想像力」という概念、つまり、地・水・火・風
という根源的物質が人間の想像力の源泉という考え方を実際の芸術作品に
おいて検証できるかどうかに関心をもっていた。
(北村清彦・北大教授)
と、彼の恩師は記している。
さっぽろという生まれ育った場を、彼は最後にその根源的物質である風・水
地を白樺を通してともに共有する回路を提示してその人生を終えたかに思える。
さらにいえばこの白樺を抱く回路とは、この場の<再生><奪還>の行為だっ
たとも思えるのだ。
山の奥深く湧き出る小さな水の始まり。そして地球なる海へと繋ぐ回路の内に
、わたしたちの今生きている地の物質的基底もあるからである。
その地の過程そのものを抱きしめ、奪還・再生する深くラデイカルな行為として、
最後の個展の位置があったように今思うのである。
そして会場で初めて公開された「銭函→星置」の曲には、この水・風の流れを
追って弾くギターの激しい指先に、彼のこの地に対する熱い命の<火>も宿っ
ていたに違いないと思えるのだ。
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