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テンポラリー通信

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2009年 10月 07日

ムラギシの本と白樺ー’Round midnight(7)

先月末にムラギシの本が出版され、もう20日近くが過ぎた。
この間ゆっくり本を見る時間もなかったが、あらためて今見ている。
どこから読むともなく、開いたところから読む。
しっとりと厚く、大きないい本である。
最後の頁に、遺された楽譜集と2枚のCDが挟まれている。
音楽の先生であった南聡先生が書いている。

 彼の残したものの魅力の本質は、「越境的」であり「未分化的」であると
 いうことなのだから。
                           (遺作コンサートについて)

膝小僧を抱いていたひとりの青年が、死の半年、一年前別の何かを深く抱き、
深く開いていった。
その何かとは、音を媒介とした世界との回路であったと思う。
彼は最後の個展で、梢も根も喪われた白樺の幹をかって位置しただろう高さに
吊り下げて設定し、その幹に梢が触れ、根が吸った風と水の音を仕込んだのだ。
人は白樺を抱き、耳をあてその音を聞いた。
その抱擁にはもう、ひとり閉じた膝小僧の世界はない。
白樺の内を流れる光と風と水の音を聞く、同じ行為を共有する回路があったのだ。
最後の個展となった「木は水を運んでいる」は、彼の膝小僧を抱きしめる閉じた
世界が、白樺の幹を通し音に触れ、外界と繋がる開かれた回路でもあったのだ
ろう。
彼の死の2年後亡くなったお母さまの令子さんの2年間もまた、彼の生を抱きしめ、
そこから未知の世界、他者との邂逅に耳を澄ましていた時間であった。
”知らない息子の世界の発見が楽しい”といつも語っていたからである。
ふたりはそれぞれに、世界を深く抱きしめ、深く世界を開いていった。
もう孤独な膝小僧の世界ではない。
私たちは今、このムラギシの本を抱きしめるようにして立っている。
ふたりがしたと同じように、個々の膝小僧の孤独を抱きしめる閉じた世界から
、この本を通し目と耳を澄まし開かれた時空を確かめている。
そしてこの本自体が深く抱きしめ、開いている存在である事に気付くのである。
それはこの本が、多くの人間のムラギシを抱擁する行為によって造られ、さらに
生前音となる事のなかった遺された楽譜とその音の再生されたCDが、この本
そのものに抱擁され、開かれている事に気付くからだ。
本は、彼のあの白樺のようにして在る。
スタンダールが「恋愛論」で記した、ザルツブルグの廃坑の坑道の結晶した
あの枯れ枝のように、村岸宏昭は本という坑道の中でムラギシに結晶して光を
発していると思える。
2006年8月。享年22歳。
限りなく<越境的>であり続けた優れた魂に幸あれ!

*「自分を代表させるような仕事はまだありません」-村岸宏昭の世界ー
 A4変型版160頁(内カラー96頁)CD2枚、別冊楽譜付き・2000円+税
 発行札幌かりん舎。残部僅少。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-10-07 15:04 | Comments(0)


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