人気ブログランキング | 話題のタグを見る

テンポラリー通信

kakiten.exblog.jp
ブログトップ
2009年 09月 29日

我と個ーSeptember Voice(26)

一対の蜻蛉が多くなる。
卸売市場から競馬場へかけての道。
競馬場の壁の蔦も赤みを増してきた。
昨日の休みは、ジュンク堂へ行き本を探す。
沖縄フェアーをしていたのでじっくり見る。
中で一番古い出版物(消費税が3%)と、
一番新しい今年出版された本を買う。
その他に何冊か気になったものを見る。
外へ出ると、雨。
濡れながら足早に三越でパンを買い、4プラの蕎麦屋に入る。
久し振りの街徘徊。
街は商品が我も我もと主張していて、眼も耳も刺激の渦中にある。
目的のもの以外は避けてまっしぐら。
大きな壁面TV、ネオン、信号、指示アナウンス、宣伝メッセージと眼も耳も
喧噪の中にある。
先日テンポラリーに来た街の人が、表看板が地味だと言っていた。
場末には場末の流儀がある。
我(ガ)を張るような街の流儀は、此処にはいらない。
目立とうとするものばかりが溢れている街では、すべてが相殺されている。
我(ガ)の氾濫が街でもある。
その流儀を郊外の場末に持ち込むほど、野暮な事はない。
自己主張の競争、喧伝が街である。
他より少しでも抜きん出ようと、その競争の戦場なのだ。
花に例えれば百花繚乱の花壇のようなものだ。
野の花とは違う。
有機的な関わりから咲く土壌と、色彩の競演に演出された花壇の相違で
ある。花壇の土壌は受け皿であり、花が終れば排除される。
文化の土壌は生むものであり、種を明日に抱きとめるものだ。
モノの氾濫する街から、選択する行為を己に課して街を歩き抜ける。
その意識に力を費やして、神経が疲れる。
反対に欲望のままに放浪するのは、モノを漁るショッピングという。

円山で地下鉄を降り、雨に濡れいつもの路地裏を歩く。
ここでは風景が自己主張をしない。
あるがままに存在している。
路は路であり、木は木であり、家は家である。
個であって、我(ガ)ではない。

先日T区役所勤務のAさんが来た。
藤倉さんの写真のひとつに見入っていた。
室蘭の古い団地の1棟である。
5階建ての横に長い建物をまるごと撮った写真だ。
横に11×縦に5の区割りのヴェランダに、個々の生活が見える。
室蘭が鉄綱の街として栄えていた時代に建てられた建物だろうか、
がっちりとして年代を感じさせる。
今のように縦に高いタワー型のマンシヨンではなく、横に長い構造である。
建築物がまだ等身大の大きさを保っている。
規格的なこの構造物は、安定したリズムをもっている。
Aさんがこの写真を気に入った訳が何となく分る気がした。
彼はジャズでドラムを叩いている人でもある。
この建物のリズムは、ドラムのリズム楽器としての役割にも似ている。
基調となる音を刻みかつ、バチ捌きのデイテールがある事と、
この公団アパートの安定した構造、個々のヴェランダに見る生活のデイテールが、
相似して感じられるからである。
藤倉さんの写し撮った空間に、ドラムスの音の空間が呼応しているのだ。
一点の作品から人の生き方が繋がる。
それも職業としての領域ではなく、個としての表現の領域においてである。
写真家だ、公務員だという領域ではない、個の表現領域でである。
作品を媒介にして人が繋がること、生き方のアクセスを共有すること。
一枚の写真をはさんで、とてもいい時間が流れていた。

*藤倉翼写真展ー9月22日(火)-10月4日(日)am11時ーpm7時
 月曜定休・休廊。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-09-29 14:08 | Comments(4)
Commented by さとまん at 2009-09-29 16:56 x
俺が俺がの我(ガ)を捨てて、おかげおかげの(げ)で生きたいです。
Commented by kakiten at 2009-09-29 17:38
さとまんさん>そうですね、コメントありがとう御座います。
村岸さんの本届きましたか?
この本も<おかげ、おかげ>で出来た本です。
<我(ガ)>では出来なかったでしょうね。
Commented by さとまん at 2009-10-01 17:27 x
村岸さんの本はかりん舎さんで注文する予定です。チQさんは早速届いて楽しんでいるみたいです。
Commented by テンポラリー at 2009-10-01 17:56 x
さとまんさん>どちらでもいいのですが、こちらからも
送れますよ。チQさんは本の編集協力者で先に贈呈された
のです。


<< 風落ちるー’Round mid...      時計台と「この道」-Septe... >>