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テンポラリー通信

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2009年 09月 27日

時計台と「この道」-September Voice(25)

昨夕市役所勤めのKさんが来た。
エレガントピープル繋がりの友人である。
時計台の敷地にオオウバユリを植えた人だ。
札幌本来の野草を文化財の時計台の周囲に増やしたい
という夢をもつ人である。
建物だけが文化ではない。その風土もまた文化なのだ。
文化をゾーンとして捉える視軸こそが今必要な事である。
彼と話していてふっと思い出し、翼さんに頼みAYAの「この道」を聞かせる。 
実際の時計台の鐘の音とともに始るAYAの「この道」は、
Kさんの心を捉えたようである。
その姿を見て、私には拡がるイメージがあった。
早稲田大学名誉教授で札幌出身の故郡司正勝先生が、舞踏家の大野慶人
さんの為に遺した作品を、以前から時計台で上演したいと思っていたのだが、
AYAの「この道」をバックに使ったら、という考えである。
この曲が遺作初演に使われた事は知っていた。
誰が歌ったのかは聞いていないが、石狩出身のこの若い女性の声は、
絶対に良いと勝手に思い込んだ。
大野慶人さんは、舞踏を志した最初の公演にもこの曲を使っていたという。
さらに郡司先生の死後最初にシアターX(カイ)でこの遺作公演した時も、
結局選ばれた曲は「この道」だったのだ。
郡司先生の初七日の日、ふたりで宮の森の先生の家にお参りに行き、
その帰りに北一条通を通り、何気なくこの界隈から白秋の「この道」の歌詞
が生まれたのですよと語った事が、慶人さんと私との「この道」の出会いだ
った。初演のカタログに大野慶人さんは書いている。

 ・・・稽古の初日、この作品を創ることに立ち会ってくれているスペインの
 舞踏家、ジョアン・ソレルが、何故か、「この曲はどうですか」と「この道」
 をCDで聞かせ、一歩を踏み出すキッカケになってもいたのでした。

 この坂道が「この道」ですと聞かせてくれたとき、深く深呼吸するだけで
 黙してしまいました。立っていることが 自分の生きてきた、人生全てを
 含んだ起点に立っていると、実感していたのだと いま思っています。

               (「ドリアン・グレイ最後の肖像」プログラムから)

Kさんの植えた野の草花が時計台の周りにそよぐ頃、この曲が流れ、時計台で
大野慶人さんと郡司正勝さんの遺作が上演されれば、どんなにか素晴らしい
事だろう。
札幌で生まれた郡司先生への追悼と、慶人さんの父大野一雄さんの石狩河口
公演「石狩の鼻曲がり」も含めた我々の「この道」ともなると思えるのだ。

 あの丘はいつか見た丘
 ああ そうだよ
 ほら 白い時計台だよ

それは喪われたさっぽろ物語であり、その再生でもある。
Kさんの藤倉翼展の訪問は、思いがけずも「この道」と時計台への
新たな思いを、大野慶人さん、郡司先生を結びつけ広げてくれたのである。

*藤倉翼写真展ー9月22日(火)-10月4日(日)am11時ーpm7時
 月曜定休・休廊

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax-011-737-5503

by kakiten | 2009-09-27 13:35 | Comments(0)


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