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テンポラリー通信

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2009年 09月 24日

巨視と微視の反転ーSeptember Voice(22)

今回展示されていないが、藤倉さんの写真の一枚に
運搬用のプラステイックの箱が野原に積まれている作品がある。
ビール瓶とかコーラ瓶とかを纏めてパックする箱である。
そのカラフルな箱が何千個も空き地に四角い山となっている風景である。
広角でこのプラステイック箱群を撮った写真は、そのまま公団アパート
をまるごと撮った視座に共通する。巨大客船を撮る視座もそうである。
人間を取巻く社会環境をひとつの箱として、まるごと写し撮るこの視座は、
彼の写真の大きな特性と思われる。
物を収納する箱、人を収納する箱。その中にミクロに生き、あるいはミクロに
使用されてある存在を、箱構造全体で写し出されると、その俯瞰された風景は
、もうひとつの別のものとして意識されるのだ。
そのひとつ、ひとつに個別の生と存在があり、かつそれらは巨大な箱に
収納され、パックされていると意識されるからだ。
これらの写真はハコモノとしての都市構造を、
極めて乾いた視線で写し出している。
夏の海水浴場、冬のスキー場を広角に撮られた作品も
同じように行楽地をハコとして撮られてある。
取巻く自然はハコの衣装でしかない。
さらに花火を藻岩山山頂から撮影した写真がある。
街の灯りを背景に花火がある。
花火は見上げる夜空のなかになく、
都会のネオン、灯の光を背景に下に浮いている。
この時花火もまた、都会の構造の一点の光に吸収されている。
夜の花火だけではない。昼の虹も同じ目線で撮られた作品もある。
これも下に拡がる都市を背景に、虹が架かっているのである。
都市風景をひとつのハコ構造としてまるごと撮る視座は、
ミクロな風景にもある。
その視線は一個一個のネオンサインの正面写真として展開される。
風景を構造として撮る視線は、ネオン管一個一個を構造としてを撮りきる事
にも反映されて、このネオン管はもう夜景を彩る情緒的存在ではないのだ。
ひとつひとつが職人の精巧な工藝の技(わざ)の集積体であるのだ。
都市風景をモノの集積体として、構造的に乾いた視線で把握するこの目線は、
時にある俯瞰性をもたらす。
問題は俯瞰の後に来る視座が、どう反転して本質的な俯瞰性を得るかにある。
この時私が思い出すのは、都市計画で造られた都市を、歩くという微視の視線
から失われた丘や谷や川を発見し、ある日鳥の目線で故郷の大地を俯瞰し得た
彫刻家の絵本である。
微視から巨視へと風景を見るこの視座は、巨視から微視へと向かう藤倉翼の
視座とは逆の視線にある。
都市を透視しその向こうに自然の風景を再生した視線と、都市の風景を見透え、
構造として抉り出した視線とは、風景を境に眼の表裏のようにある。
最近の藤倉翼のポートレートシリーズは、その視線を都市構造から人間の
個別性への視線として、徐々に人間という自然へと転位しつつあるかに思える。
モノから生きモノへと、彼の都市構造の内側への視軸はその眼差しを転位し
つつあるとも思えるからだ。
そして人間を通してもういちど、彼の都市風景が再構築される作品が今後に
展開されるのかも知れない、と思える。

*藤倉翼写真展ー9月22日(火)-10月4日(日)am11時ーpm7時
 月曜定休・休廊。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503




 

by kakiten | 2009-09-24 14:08 | Comments(0)


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