昨夜円山カフエエスキスで、村岸宏昭作品集の出版を祝う会がある。
本の編集委員だけの慰労会かと思っていたが、お兄さんの史隆さんの
米国からの帰国もあってか多くの人が集まっていた。
中には、アートブローカー的な雰囲気濃厚なSの姿もあり、腰が引けた。
毎月本の編集で顔を合わせていた村岸令子さんは既に亡くなり、
同じ編集で汗を流した音楽の南聡先生の姿も見えず、寂しかった。
乾杯の挨拶という指名があったが、祝杯というより献杯の気持ちが強かった。
振り返るとこの3年間、私の生活のトニカ(基調低音)のひとつには、
いつもムラギシな時間があった。
それは現在地に引っ越して経過した時間と重なるのである。
ここを開廊して間もなく村岸宏昭展があり、その半月後の不慮の死とともに
遺作展実行委員会、遺作集編集委員会と3年の時間が経過したからだ。
私には村岸さん母子と過ごした3年間が続いてきたのである。
その時間もこの日を境に、より本質的な<ムラギシな>時間へと変わる。
昨日初めて手渡された、分厚いA4変形版160頁CD2枚別冊楽譜付き
のしっとりした装丁の本を読みながら、さらにその思いは強くなった。
もう村岸宏昭個人への想いを超えて、本という形のひとつの区切りが別の
次元へと誘うからである。
水っぽい村岸個人への涙めいたものとは、もう遠くはなれつつあるのだ。
これから後は、村岸個人に未知の人の手にその志は手渡されたと思う。
従ってもうこの日の雰囲気に馴染めない自分がいた。
3年過ぎてなお語るべきものを持たないSに至っては、別の高校生で夭折した
画家の話をべらべら脈絡なく語り始め、聞くに堪えなかった。
こういうアートブローカー紛いの人間のKYは噴飯モノである。
その事に比し、本自体の編集力、出来映えは立派なもので、かりん舎の
坪井圭子さん、高橋淑子さんの真摯な編集能力には頭が下がるのである。
しかもこの本の価格は、2000円という考えられないような低価格に設定され
ている。お母さまの多くの人の手に取って貰いたいというご遺志もあるのだろう
が、その遺志に充分に応えた内容と装丁である。
多くの分野の人たちが、故人の多岐に渡る活動を記録し語ったこの本は、
正に本の帯に引用されている北村清彦先生のいう、<プリズム>のように
様々な角度を得て初めて理解される、志(こころざし)の原石の塊なのだ。
その凝縮された塊が、今プリズムのように本の形になってある。
そしてこの原石はもう個人を離れて、多くの同時代を真摯に生きる未知の
人へと差し出されている。
村岸宏昭は、<ムラギシ>としてコンテンポラリーな心挿す、志の人と
なってあるからである。
今はこの一冊の本が、出来るだけ多くの手に触れて欲しいと願う。
*藤倉翼写真展ー9月22日(火)-10月4日(日)
am11時ーpm7時:月曜定休・休廊
*「自分を代表させるような仕事はまだありません」-村岸宏昭の世界ー
かりん舎発行・A4変形版160頁(内カラー96頁)定価2000円+税。
音楽CD2枚・別冊楽譜集付き。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503