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2009年 09月 16日

一枚の絵ーSeptember Voice(14)

クレヨンで描かれた小さな一枚の絵がある。
手前には森が描かれ、その向こうに大きな建物が建っている。
父の遺した絵である。
美術家志望だった父のたった一枚だけ遺された絵だ。
10代の後半くらいに描かれたものと思う。
明治の祖父は、美術志向の父を手元に残し、他の兄弟姉妹はみな
道外へと送り出した。
明治は時に実(實)の思想を重んじる。
美術・文化は実(實)ではないから、父はうつつ(現)者と思われたのだろう。
その屈折は戦後の父の人生のエネルギーともなるのだが、
この一枚の絵には、10代の素直な世界観、憧れがあるような気がする。
丹念に描き込まれた森の緑。そしてその奥に建つ構築物。
この直線の建物に、若い青年の志、意志を見る気がする。
この意志は、開拓の祖父の意志ときっと同じ波長のものと思える。
手前の濃い森の姿は、きっと北海道そのものの現実であり、すくッと立つ
建物は、祖父の意志と同じトニカ(基調低音)を保っている。
その意思を実践・実行としたか、絵画の浪漫としたかにふたりの差異もある。
祖父の子として、その思念を純粋に表している子がいる。
先日街を歩いて、植物園の広大な敷地の空を見た時、
ふっと父の遺した絵を思い出していたのだ。
風景の前提はすでに反転している。
森の向こうに未来への意志のように建物はないのだ。
建物群の挾間に樹がある。
善意の意思は今は負の意思として感受される。
父なる、祖父なるその意思から遠く、私の現在(いま)がある。
人間の意志の象徴たる高くすくッと立つ高層の構築物。
その建物と森の調和・浪漫。
その幸せな関係性とはいつしか逆転した場所で、うつつ(現)と実(實)がある。
私の現実(リアル)は、うつつ(現)が森で、実(實)が高層ビルだから。
圧倒的な森の描写。そしてその向こうの憧憬に満ちたように思える構築物。
このロマンの反転、暗転を如何に見詰め引き受け得るか。
ある種の濃い善意の結末たる現実。
そこに父への敬愛と同時に血みどろの闘いもある。
森への浪漫も、構築物への浪漫も決して安息を与えはしないからだ。
うつつ(現)と実(實)の界(さかい)こそが、生きる戦いの磁場である。

父さん、不肖の息子はそう思うのです。
あなたの描いた森、あなたの意志した構築物。
その両方の挾間に今私は生きているからです。

*エレガントピープルJAZZライブー9月19日(土)午後6時~
 :仲西浩之(as)小板橋智(g)絹川信二(b)有山睦(ds)
*藤倉翼写真展ー9月22日(火)-10月4日(日)

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 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-09-16 12:11 | Comments(0)


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