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2009年 09月 12日

紙魚豆本ーSeptember Voice(11)

彫刻家の岡部亮さんと美術家の新明史子さん製作豆本が、昨日の道新夕刊
に取り上げられていた。
村雨ケンジという評論家の文である。

・・・背の部分を接着剤ではり固めた「無線綴じ」が普通だが、この本は糸で
綴じてあり、その発見に新鮮な感動がある。
一冊ずつ本を綴じる、作者の息づかいが伝わってくるようだ。

このコラムはその対象をマンガを主とする欄のようだが、パソコンによる印刷物
製作全盛の今日、このふたりの美術家による手造りの豆本が、書物復権への
共感として語られている。
岡部亮さんは、教育大在学中よりすでに先鋭な彫刻作品を多く発表していたが、
近年はもっぱらこうした手造りの豆本造りに没頭している。
素材こそ違え、彼が本という形で造っているのは、メッセージを伝えるある造型
であるとは感じていた。
今は第5集まで造られているが、そのメッセージ性を一番感じさせたのは
第一集第3巻「丘陵日」である。
生まれ育った北広島市を歩き、その地形的発見を絵と言葉で綴った一巻であ
る。
この前年彼は沖縄へ一人旅し、打ちのめされるように帰国したが、在沖中ひたす
ら琉球古代の城壁を写真で写し続けていたのだった。
そこで感じた何かが、その後彼の生まれた場所への眼の探索へと向かわせる。
そのひとつの成果がこの第一集3巻の「丘陵日」である。
生まれた時から過ごした何の変哲もない丘、坂、野、川。
それらのひとつひとつが有機的な総体としてやがて風景として俯瞰される。
その率直な感想が文となり、俯瞰した風景が絵となっている。
これは彼が沖縄で打ちのめされ、写真で記録するしかなかったものと同じ
行為によるものである。
彼は故郷の風景に対し、もう無意識に接する事はできない。
ひたすら見据え、歩き、その地形・風景の原(もと)を写真を撮るように絵と言葉に
したのである。彫刻家として造型する以前の眼のデッサンである。
形態は豆本であり、マンガのような絵であるが、その本の造本も含めて
最低限の彫刻的立体行為でもあるのだ。
北に移住した広島県人を意味する「北広島市」という開拓者の地名、札幌の住宅
エリア衛星都市の下に埋もれている本来の固有の大地、その風景の喪失した殻、
皮、種を再生し地形として故郷を見据える行為が、この豆本のメッセージである。
風景を造り返す事。
今だ彫刻にはまだ至らず、目の前の風景を構造として再構成するデッサンの
ような行為である。
先日新しくできた第5集を届けてくれた時、私は彼にさり気なく聞いたのだ。
彫刻の方は?
そろそろ体が持て余しているんです。むずむずして・・。
そう、来年彫刻で個展を考えたら、どう?
え、え。
そんな会話を交わした。
もうそろそろ眼のデッサンは終り、彼本来の彫刻の季節(とき)が来る。
白米化し漂白された風景の奥底の、風景の玄米を取り戻すラデイカルな行為
として、これから彼の真の彫刻が始る日も、きっと近いのだ。

*収蔵品展「境界(さかい)の現場」-9月13日(日)まで。
 am11時ーpm7時
*エレガントピープルJAZZライブー9月19日(土)午後6時~
*藤倉翼写真展ー9月22日(火)ー10月4日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-09-12 11:54 | Comments(0)


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