気温が少し上がり、晴れ。夏の末深く、秋。
昨日久し振りに佐佐木方斎さんが、酒瓶一本持って来る。
村上善男さんの「常盤村紙円の繰り」を熱心に見ていた。
初めて見るという。
古文書の和紙をベースに華やかな円が中心にある。
よく見るとその円は糸で縫付けられ、中に赤い糸屑が散らされている。
和の伝統素材を意匠的にモダンに変身させた作品である。
津軽のモダニズムが横溢する存在感ある秀逸な一点だ。
廃棄物の新建材を削り着色した’90年代後半の佐佐木方斎の視点が、
この古文書の再利用した作品に、どこか共通するものを感じていた所為
ではないだろうか。
他の作品もゆっくり見ていたが、これらの作品と同じ時代の空気を彼は吸
っていたから、作家の事も個人的に知っているのだ。
それぞれの作家の表現の境界(さかい)をテーマに、展示していると言うと、
なるほどなあと得心してくれた。
それから持参した酒瓶を開け、飲む。
酔いも少し廻るころ、どう作品創っている?と水を向ける。
デッサンが何事も基本だから、その準備はもうしている。
来年後半には発表したいという。
’80年代イカロスのように飛んだ彼が、翼を焼かれ墜落した’90年代を経て
今これから新作に挑む気力を回復した事が、正直嬉しかった。
将棋道場にばかり通っている日々のようだが、聞くと色んな職業の人がいて、
将棋を指すという一点だけで交流する事が、純粋な人間関係でいいという。
おまえ、それは美術も同じだろう。その一点だけで人が繋がるという点において
は・・、と言いながらふと気付く。
そうか、そうでない付き合いを多く経験してきた佐佐木方斎だもなあと思う。
今そうした煩わしさを抜け、純粋に画家になれる時なのかも知れない。
将棋の棋譜にも美があるという。個人が出るという。
美術界の多くの知己と別れ、そうした世界に心の安寧を求めていた
彼の純粋な癒しが、何となく分かる気がしていた。
しかし、こうして酒瓶一本持って短い秋の夜にふたりで酒を酌み交わし、
明年の個展を語れるようになった事は、慶事であるのだ。
俺もまた来年まで頑張れるぜ、そう応えてささやかな宴は終わったのだ。
かって両端のような場所にいたふたりが、その周囲にいた人たちが去った後、
作品を通して今繋がりを深めている。
あの当時のそれぞれの周囲にいた人間は遠く、訪ねて来ることもない。
酒瓶一本持って、場末の画廊主と場末の将棋指しの画家が飲んでいる。
秋の冷気がふっと緩んで、人肌のように吹く宵であった。
*収蔵品展「境界(さかい)の現場」-9月13日(日)まで。
am11時ーpm7時
*エレガントピープルJAZZライブー9月19日(土)午後6時~
*藤倉翼写真展ー9月22日(火)-10月4日(日)
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503