文月悠光さんが詩誌「酒乱」3号の「’80年代詩を考える」特集に書いている。
今だこの世にいない時代の事を書けという依頼を、彼女はまず正直に批判する。
・・・なんて中途半端な時代を選ばれたのだろうと、私は少々うんざりした。
・・・正直(年齢によるところが大きいと思うが)、時代を定めて詩を論ずる事に
どのような意味があるのか、よくわからない。
・・・「感受性に運命をもたらす」力を、”時代”はもはや失った。
これからは、感受性こそが”時代”に運命をもたらすのだ。
17歳の少女のこの潔い言葉に先ず感動した。
’80年代を勿論通過した人間として、同様に言いたいのだ。
今の感受性こそが、’80年代という”時代”にも運命をもたらすのだと。
私は佐佐木方斎という作家の’80年代を貫く仕事を何度か企画して展示して
きたが、その根本にはいつも今を生きる感受性を基底にして見てきた。
回顧で企画した事は一度もない。
現在展示している一原有徳、村上善男も然りである。
これら’80-90年代に製作された作品は、正に今を生きる感受性において、
見てとれるのである。
作品が保つ時間の保水力は、現在を生きる感受性においてこそ、
活き活きとその姿を顕す。
文月さんの凛々しい言葉に、私は多くの勇気を頂いた。
感謝して、9月を迎える<September Voice>最初の言葉としたい。
*「収蔵品展ー境界(さかい)の現場」展ー9月1日(火)-13日(日)
am11時ーpm7時:月曜定休・休廊。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503