もうコクワの実がなっていると、Aさんの花日記が告げている。
花から実へ、時は動いている。
雨模様、空が暗く低い。
自転車の車輪が地面に密着して、ひたひた。
湿った音を立てる。
福島県出身のSくんが来て、札幌には蝉がいないと言う。
そういえば、周りの空気を圧縮して震動するような、
あの蝉の鳴き声をしばらく聞かない。
蜻蛉も車のフロントガラスにぶっかるような群を見ない。
今年部屋を訪れたはぐれ蜻蛉も一回だけ。
都市化は命を物に替え、命を見えなくする。
さまざまな命の音をサウンドに変え、
その電気的な増幅に眼も耳も囲繞される。
蝉の鳴き声より選挙の拡声器の声が響き渡る今日だ。
朝、風で鉄鋼の綱が鉄柱の旗竿にぶつかり、
乾いた音を立てていた。
その音にふっと甦る記憶があった。
風が強く吹いていた夕暮れ。初めて一緒に歩いていた。
石油スタンドの鉄の柱に、旗竿のロープが風に揺れ、
カーン、カーンと響いていた。
その音に驚き、下向きに歩いていたふたりは、
ふっと音のする方向を見上げた。
同じ方向を初めて見た記憶である。
内向きの視線が、外へ開いた小さな驚き。
あの風の音。
あれは晩秋だったか、冬の始まりだったか。
記憶の実が時に、こうして音とともにぽっかりと甦る。
今も風が旗竿の鉄柱を鳴らすロープの音を聞くと、
あの時同時に見上げた新鮮な軽い驚きを思い出す。
最初の共同作業。共に同じ方向を見詰めた記憶である。
蝉の声、飛翔する蜻蛉、そして風の音。
腐れ雪の間に咲く黄色いJoy、福寿草。
音、色、虫、花、実。
その命の形を、電気的な増幅が消去していく。
北も南もなくだね、きっと。
北には北の哀がある。
香(かぐわ)しいという南の北風を、南の哀と北の哀とともに
感じてみたいと思っているのだ。
*「’90年代の作家たちーコレクシヨン展」-8月18日(火)-30日(日)
am11時ーpm7時:月曜定休・休廊
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503