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テンポラリー通信

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2009年 08月 12日

白い光と黒い雨ー夏日幻想(11)

ナガサキとヒロシマの記録「白い光と黒い雨」を見る。
市民の<私>としての日常と国家としての<公>の非情なる落差。
国家という<公>の前でひ弱な犠牲者<私>が、その困難を逆転して
<個>としてその傷痕を人目に晒し、語りだす勇気に感銘を受ける。
体験という現象的現実に対し、経験という認識・媒介現実として、
より本質的な現実への志の過程を感じるからだ。
個々の体験は体験した者にしか分からない。
その事実を他者に伝えるという事は、より本質的な開かれた地平を、
精神的に育む事である。
そうでないと、体験は<私>の膝頭に閉じてしまうからである。
悲惨としか言い様のない数々のヒバクシャの身体損傷を見ながら、
一枚の薄いシャツが、戦後60年を過ぎた今を覆っていることに気付く。
抉られた背中、腹、腕の付け根。
その損傷した身体を見せた後、白く薄い下着を一枚着るだけで、
普通の日常の顔をした現在が現出する。
被爆した直後の多くの映像には、皮膚が垂れ下がり、剥れ、
怯えた表情の人がいる。
薄い皮一枚が保護している生。その圧倒的な人生。
時を経て生き延び今は、乾いたケロイドの傷痕を、
白く薄い下着のシャツ一枚の現在が覆っている。
この薄い下着一枚の現実が、今の我々の日常なのかも知れない。
そう思い、そう感じることが、被爆者の勇気ある個としての発言、
身体損傷の提示によって喚起され得るのだった。
時に台風と地震の被害の映像のなかに、大地という身体に
同質の損傷の映像を見ていたのだ。
崖が崩れ、剥がれ落ち、地面に深い亀裂が走る。
泥土がケロイドのように日常の家屋、路上を覆う。
大地の土という皮膚が、舗装された道、護岸された川や崖のように薄い皮膜
、白いシャツで覆われていたかのように見えてくる。
国家間の戦いが個としての人間を損傷し、
さらに今人間社会そのものが日々、自然を損傷しつつあるのではないか。
そんな思いに囚われた。
超国家主義対自由主義というある意味マクロなイデオロギーの世界俯瞰から、
もっと自然という日常状態に密接な自然対人間社会という戦いに今、世界は
転位しつつあるのではないのか。
自然への損傷を、シャツ一枚で覆うように、山野、海原への損傷を隠蔽し続けて
いるのではないのか。
台風や地震の姿をとって、実は被爆者の身体のように覆っているシャツを
脱ぎ捨て、自然自身が主張しだしているのではないのか。
その原点のように、あの人間の5本の指の形をした、
広島の川の地形を、今思い出すのである。

*16日(日)までお盆休廊。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-08-12 12:26 | Comments(0)


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