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テンポラリー通信

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2009年 07月 01日

金魚鉢とスープカレーー朱夏(2)

久し振りに閉廊後中嶋さんと薄野近くの繁華街に出た。
自転車は置いて地下鉄で行く。
大通り駅で降り薄野方面へ地下街を歩く。
今見せなければ見せる時がないかのように、手足を露出した
若い女性の姿が目立つ。
なにか金魚鉢の中を歩いているようだった。
地下街を抜け地上に上がると、そこもネオンと電飾の世界だ。
内と外の境界がここにはない。
若い男はというか男たちは、みなボウフラのようで、女性たちがキラキラ。
金魚鉢の藻のように男はいる。
目的の飲み屋街の一角、某ビルの5階にある展覧会場に行く。
エレヴェーターは何故か4階までで、そこから階段で会場に上る。
そこは靴を脱いで上がるバーを兼ねた空間で、中央に卓球台が置いてある。
造りからするとこの古いビルは、4階までがテナントビルで最上階のこの場所は
きっとオーナーの居住空間だったと思われる。
そこを後からバーに変身させたのに違いない。
靴を脱いで床に座り、壁に掛けられた10点ほどのHとKのふたりの作品を見る。
若者向けの音楽が流れ、食ったり飲んだりピンポンしたりついでに知り合いの絵
も見る。すべてが程よく極を保たず、サロンのような遊び場のような和風のような
洋風のようなごっちゃないい加減さがルーズで気楽で尖る事はないのだ。
ここにも境界がない。
ビール一杯とどっちつかずのつまみを残して、HとKと少し話してそこを出た。

帰りは地上を歩き、何年ぶりかで生まれた場所の前を歩いた。
僅か1分もかからずその場所は過ぎていく。
かって店が並び、自転車屋、瀬戸物屋、パン屋、カメラ屋、電気屋、本屋
額縁屋と店主の顔と業種が浮かぶ。
この50m弱の距離に生活の境界(あいだ・さかい)が、暮らしという形で
一杯詰まっていたのだ。
今はひとつの巨大なビルとなり、物品が隙間なくそこを埋め、人はその間を浮遊
するように、物から物への表面を滑っているように思える。
街全体が金魚鉢の鉢の中のように、気密に保護され、キラキラした魚のように
浮遊しているのだ。
HとKから貰ったマジカルなんとかという百人近い参加者のアートイヴェントの
フライヤーにも同じ感触がある。
アートという軽いこの言葉で多数が群れて、ごっちゃまぜになる様子は、まるで
スープカレーを思わせる。
食べ物は好き嫌いでいいのだが、それにしてもカレーには辛さというスパイスが
軸に在る訳で、そのスパイス軸がこのアートごっちゃ混ぜにはないのだ。
音楽あり、美術あり、飲み物あり、食い物ありで先程のバーと何ら変わらぬ構造
である。
もっといえば、街の構造と同じなのだ。ジャンルの間に境界がない。
ジャンルを超えてといえば、聞こえがいいが、軸芯にスパイスの強烈なコンセプト
が不在であれば、それはただの烏合の衆、ごッた混ぜのスパイス抜きのスープ
カレーになる。
文化も街もいつのまにか数量という物品に埋め立てられて、人は浮遊する量数
の一部になった。
あの古いビルが、居住という暮らしの機能を明け渡したように、その後に境目の
消えた無気味な、透明でのっぺりしたガラス鉢のような世界が拡がっている。
ここでは音楽は音の匂い消しになり、アートは無機質な空間の眼の匂い消しに
なる。音楽も美術も程よく、極を保たず、境界(さかい・あいだ)の曖昧な、
尖ったもののないボウフラのように、空間を浮遊しているのだ。
芸術・文化の本来保つ世界が、固有に深く閉じ、花のように深く開くものなら、
そこに固有のエッジ、境界の輪郭もまた深く存在するはずなのだ。



*中嶋幸治展「エンヴェロープの風の鱗」-7月5日(日)まで。
 am11時ーpm7時
*中川かりん展ー7月7日(火)-12日(日)
 12日(日)午後6時~24絃琴ライブ:入場料1500円

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-07-01 12:20 | Comments(0)


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