どんなジャンルであるにせよ、その固有の領域を深く生き抜いた人の在り様は、
ジャンルを超え同時代感情として、人の心を打つ。
プロレスラー三沢光晴の死を、Nくん、Sくん、Tくん外が、一斉に今日その死を
悼んでブログに書いている。
私はそんなに格闘技に詳しかった訳ではないから、
彼らほど心濃くその死を語ることはできない。
しかし、マット上で闘った元タイガーマスクの雄姿を、自分の生きてきた時間と
重ねて、熱く見詰める心の指先は理解できるのだ。
今生きている日常生活のそれぞれの領域を越えて、生きてきた時間の奥底に
触れるなにかを、敢えて今、同時代感情と呼んでみたい気がする。
固有の領域の固有の生き方を通して、その事が可能であることを、強く思うから
だ。一方、この一プロレスラーの死の報道に比し、華々しくもふやけた上海での
アートイヴェントの報道の空々しさは、一体何んなのだ。
「雪国の華」と題され、札幌現代美術の展示が間もなく上海で開かれるという。
タイトルからしてふやけた土産物屋みたいな、ローカリテイー売り物の名称だが、
その開陳文に至っては、中味空疎を絵に描いたようなものである。
米国型資本主義の終焉を言いながら、今最もその米国型資本主義を目指してい
る中国・上海で「サッポロコンテンポラリーアート」を売り込もうというものである。
大体、「雪国の華」・ジャパニーズコンテンポラリーアートという命名自体が、
意味を成さない。
例によって紋切り型の北緯45度だ、日本の最北端に位置するだ、アイヌ文化だ、
と手垢に塗れた形容詞を散りばめ、羅列しているが、ここには固有の場、固有の
生を生きる軸芯の欠片もないのである。
こういうアートブローカー的な興行が、堂々と札幌雑技団みたいに国際的と称し
て、サーカス団以下の催しに官民ともに乗っかっている風景は、吐き気がする。
一プロレスラーのマット上でのひとりの壮絶な死に比べて、この多勢の上海興行
はあまりにも薄っぺらで、ペラぺラであり過ぎる。
同じ興行でもプロレス興行のたった一人の人間のひたすらな生き様の方に、
はるかにコンテンポラリーな精神を感じる位相があるのである。
固有の領域をも深く生き抜かずして、簡単に同時代などと言うな。
日本の最北端などと、己の位置すらどこに位置しているのかピンボケな鈍化した
感性から、同時代(コンテンポラリー)の水平線が見える筈もないのだ。
*チQ沖縄からのポストカード展「まちぐゎ 69」-6月9日(火)-21日(日)
am11時ーpm7時・月曜定休・休廊
*中嶋幸治展「エンヴェロ-プの風の鱗」-6月23日(火)-7月5日(日)
*及川恒平フォークライブ「TASOGARE」-6月28日(日)午後6時半~
入場料3000円・予約2500円
*中川かりん展「かりん」-7月7日(火)-12日(日):絵画と演奏。
:12日午後6時~かりんライブ入場料1500円
テンポラチースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
tel/fax011-737-5503