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テンポラリー通信

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2009年 05月 19日

パウル・クレーの生涯ー夢の中径(15)

日曜美術館をたまたま見て、パウル・クレーの一生を知る。
絵は知っていたが、その生涯は知らなかった。
ナチスのドイツで退廃芸術の烙印を押され、スイスで一生を終える。
生前陽の目を浴びる事無く、ナチスドイツの終焉を見ることも無く
ひっそりと一生を終える。
戦後ドイツは、謝罪の為散逸していたクレーの作品を集め、
クレー美術館を建てその作品の名誉の回復に努力する。
あの伸びやかで幻想的な線で彩られた作品の裏に、そんな物語が隠されていた
事実を実は知らなかった。
当時の社会が、退廃・無用と決め付けた価値観をただ単にナチスの所為と
今解釈するのは簡単な事である。
その後の時代に、社会主義リアリズムが顕在化し、ここでも社会的用・不用
の観点から、ブルジョア退廃芸術と多くの作品が烙印を押され排斥された。
これもまた、スターリンの所為と解釈し済ますのは簡単なことである。
この問題の本質を、強権的国家・独裁者に収斂させて事たれリ
とする安易を思うのだ。
芸術を社会的有用・無用という軸上に置いて、無用と排斥する事と、
有用と捉える事とは同じ盾の裏表である。
社会的有用という観点を、現在に置き換えれば、
アートによる街の活性化とかいう観点に行き着く。
強権的な社会構造ではなく、現在はもっと緩い現象として顕われている。
だが本質は同じ構造を保つ。
いつ何時、その構造は有用・無用芸術という烙印を押す反対の力に
変位するかも知れないものだ。
有用性という事で、アートと社会が予め着地点を措定して、馴れ合い、
折り合って為される時、芸術・文化は既にその予定調和の内で固有性を
喪失しているのだ。
小さな街角、小さな過疎の町、あるいは繁華街の一角の優劣争い等で、
一見善意に満ち、お洒落な様相で格好良く、無邪気に行われているかに見える
アートの町興しとかいうイヴェントの根本的駄目さは、この個の喪失した社会的
有用の予定調和にある。
易々と多数性を前提とする社会性に身を委ねて、作品の固有性を風化させ得る
からである。
ヒットラーやスターリンという特定個人の所為として、その構造を擬人化させてすむ
ものではない。現在の緩い緩慢な拡散化状況に、見えないクレーの悲劇は胚胎し
てある事に、もっと敏感でなければならないと思う。

*川俣正アーカイブ「テトラハウス326」記録展ー5月24日(日)まで。
 am11時ーpm7時

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-05-19 13:19 | Comments(0)


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