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テンポラリー通信

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2009年 05月 16日

陽光・陽水・川俣正ー夢の中径(12)

5月の陽射しが美しい。
昨日来たKさんがブログにそんな会場の写真を載せてくれた。
カセットテープの陽水が合うわ、と言った。
きゅる、きゅると陽光・陽水・川俣アーカイブス。

’87年12月現代企画室発行のA4版292頁の大冊「工事中KAWAMATA」の
なかで、川俣自身が「テトラハウス326プロジェクト」を次の様に振り返っている。

そう、金銭的なことも含めて彼らが全部取り仕切ってくれました。
・・地域の住民自体がその行為に参加するというネットワークの関係性を強く意識
することになりました。このあたりになるとやる側とやられる側とが転倒してきたと
いえますね。・・・「テトラハウス」は無署名の作品というか、もう僕がつくったとはい
えないところがあります。

ではそのやられる側、地域の住民は当時どう振り返っていたか。
住宅を提供したE氏は、その年末に出されたドキュメントで次のように書いている。

(今回のテトラハウスプロジェクトは)ぼくらの生活における常識の表皮をすっぽり
はぎとる挑戦のするどきつめをはやした川俣氏の「意志」が貫板一枚一枚の縫合
のなかに充填されている訳であり、そのぬけがらのなかで、その後の居住者たる
私は、時に何を解体し、時に何を構築せざるを得ない運命にあるかと考えますと
ーーぞーといたします。

当初空家のこの家を賃貸住宅として、生活の資に考えていたE氏は、この後
そこに住いを移し、さらにこの時自らが語った<運命>のように、そこをフリース
ペースとして<何かを構築>していくのだ。
川俣氏に質問した本の編集者はこの間の事情を次のように纏めている。

川俣さんのプロジェクトが街の活性化とかの問題と関る姿勢が、ここで明瞭に出
てきたといえますね。

現在あちこちで見られるアートによる街の活性化とかいう意識がもうこの時点で
言語化されている。
しかしこの時E氏が語っていたように、<ぼくらの生活の常識の表皮がすっぽり
><はぎとられ><そのぬけがらのなかで><ぞーと>していたのがその時の
偽らざる現実であった。当事者に、街の活性化などという意識はその時ないのだ。
この利便的効用的な意味付けは、直前にも、直後にもないのである。
祭りとして、一過性の燃える街角があった事は事実であるが、後に語られるような
アートで街興し的な意識はこの時ないのである。
ある意味純粋に川俣体験を楽しみ、そしてその後ぞーっとしたのである。
それは、私自身も振り返ってそう思う。
これは、体験であり経験であり祭りであって、一過性の鍋料理を囲む時間に似て
いたのだ。
ただそこには日常の表皮を剥ぎ取る非日常として、美術の行為が厳然として
在ったという事である。
この事は、日常と非日常の激しいスパークを抜きに、易々とアートを生活側に摺り
寄せていく馴れ合い・仲良し行為とは明らかに一線を画すものである。
本来位相の違うふたつの極を保つものが、互いに反発しあい、引きあうという両極
を保たずして、馴れ合う処に真の磁場の生まれる筈もない。
南と北の磁極抜きに、東西が広がらないのと同様である。
生活者の現場に非生活的な芸術・文化が真に対峙し、磁場を形成する努力を易々
と当初から放棄して、あたかも慈善事業のまやかしの如く、斡旋屋のように、ブロー
カー紛いのアート事業が何も生まないことも自明の理である。
美術のデイズニーランド化は、この時すでにこの編集者の脳中にも芽生えていて、
’90年代以降のパブリックアート志向の予兆を感じさせるのである。

*川俣正アーカイブ「テトラハウス326」記録展ー5月12日(火)ー24日(日)
 am11時ーpm7時・月曜定休・休廊

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503



 

by kakiten | 2009-05-16 13:09 | Comments(0)


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